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「墨」のその他の用法については「墨 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
墨 写真左手奥から「墨」「筆」。中央には「硯」。硯の一部分は窪み、硯の表面で水とすられた墨は窪みの「海」へ溜まる中国の彩墨

墨(すみ)とは、(すす)、(にかわ)、香料を主原料とする書画材料[1][2]。煤や膠に少量の香料などを加えて練和し木型に入れて乾燥させたものは摺墨ともいう[3]。このようなとともに磨って用いる固形墨(こけいぼく[4])のほか、手軽に使えるよう液状に製造した液体墨(えきたいぼく)もある[1]。固形墨を摺った液や液体墨は墨汁(ぼくじゅう)または墨液(ぼくえき)とも呼ばれる。
歴史
中国

墨の歴史は固形墨から始まった[1]。その起源については諸説あるが紀元前には既に存在していた[2]

古代中国の甲骨文に墨書や朱墨の跡が発見されており、の時代に発達した甲骨文字とときを同じくして使用されたと考えられる[5]。中国湖北省の雲夢県睡虎地(うんぼうけんすいこち)で発見された紀元前211年の秦墓からは筆と硯、墨が発見されている[2]。また、湖北省江陵県鳳凰山百六十七号墓からは紀元前179年?紀元前141年頃と推定される穂先に墨が残った筆が発見されている[2]

紀元前には木炭の粉や石墨(グラファイト、黒鉛)の粉を水とで溶いた液が用いられ、代には漆で丸く固めた「墨丸」や硯の類、松を燃やした煤(松煙)が使われるようになり、三国時代までには膠で固めた扁平な墨が作られるようになり、代には油を燃やした煤(油煙)による油煙墨が作られはじめた[6]
朝鮮

朝鮮では三国時代から良質な墨が作られ[7]、後述のように高句麗から日本へ製墨技術が伝えられていた。新羅で作られた「新羅武家上墨」と「新羅楊家上墨」は現在も日本の正倉院に宝蔵されている[8]。一方で、歴史的に職人の社会的地位はとても低く、製墨に係わる文献資料がほとんど残されていないことから、その研究や再現には困難が生じている[9]。現代に行われている朝鮮の伝統的な墨の再現では、中国や日本の資料も考証に加えられている。
日本

現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の墨書土器に記されていた「田」という文字(あるいは記号)とされている[10]。更に遡る紀元前1-2世紀の硯とみられる品も、福岡県行橋市下稗田遺跡など九州北部の複数遺跡から出土している[11][12]。日本での製墨の記録は『日本書紀』が初出とされ、推古天皇18年(610年)に高句麗から渡来した曇徴によって行われた[6][1]大宝律令には中務省に造墨手を置くことが定められ、奈良時代には平城京図書寮や和豆賀(京都府和束町)、播磨国で墨が作られた。平安時代には松煙墨の生産が盛んになり、紀伊国産の「藤代墨」や近江国産の「武佐墨」が知られた。室町時代には明徳から応永の頃、奈良の興福寺二諦坊において油煙墨が作られるようになり、これは「南都油煙墨」と呼ばれ、松煙墨より墨色が濃く高く評価された。安土桃山時代には安価な菜種油が油煙の原料として使われるようになり、奈良では民間でも製墨が行われるようになった。江戸時代には紀伊徳川家の後押しにより、水墨画に適した紀伊国産の松煙墨である藤代墨が「藤白墨」として再興され珍重されたが、江戸末期には後継者が途絶えた。現在の墨の主要産地としては、奈良県産(奈良墨)が9割のシェアを占めるほか、藤白墨と同じく平安時代に始まり紀伊徳川家に支えられた歴史を持つ三重県産(鈴鹿墨[13]や、藤白墨の松煙生産を現代に復興させた和歌山県産(紀州松煙墨[14]がある。
西洋への輸出

西洋へはインドを経由して輸出され、インディア・インクやチャイニーズ・インクと呼ばれ、改良品も作られ、没食子インクビストルセピアと並び古典的なペン用インクとして使われる[15][16]。耐水性のインディア・インクには、水や膠に代わって、媒剤にアルコール溶媒シェラック樹脂を用いた油性のものもある。
液体墨の登場

明治20年代、小学校教員をしていた田口精爾が、冬場に冷たい水で墨をする生徒達や、墨にかかる時間で文字を書く時間が減ることを懸念し、液体の墨を作る事を発起。東京職工学校(現・東京工業大学)で応用化学を学び、その後、墨汁を発明。1898年明治31年)に「開明墨汁」と名付け商品化し販売。田口商会(現在の開明株式会社)を牛込区築土八幡(現在の新宿区)に創業した[17][18]

1950年(昭和25年)には墨をペースト状にして水で溶いて用いる練墨(ねりずみ)が登場した[1]。1957年(昭和32年)にはポリビニルアルコール(PVA)を利用した墨汁が初めて特許申請された[2]
原料

墨は膠、煤、香料を主原料とする[1][2]。液体墨の場合は水が加えられており防腐剤が加わることもある[1]

膠には筆記した文字を紙に固着させる効果がある[2]。膠は動物の骨や皮などを煮て得られる液体を濃縮乾燥させたものだが、牛皮を原料とする墨が多く製造されている[2]

固形墨においても墨液においても、年月が経てば膠の成分が変質し弱くなる。これを「膠が枯れる」という。作った当初は膠が強くて粘りがあり、に書いた場合、芯(で書かれた部分)と滲みの差が小さいが、年月を経ると膠が枯れ、滲みも増えて墨色の表現の自由度が広がる。水分が多いと書いた線の部分から滲みが大きく広がる。この状態を「墨が散る」という。

墨に用いられる煤には、油煙、松煙、工業煙(軽油などを燃やしたもの)がある[1]

現代では印刷インキなどのカーボンブラックの多くは、ファーネス炉にエチレンボトム等の石油系原料を吹き込んで不完全燃焼させるファーネス法によって製造されるものが多い[2]。しかし、墨の製造に用いる煤は、菜種油や鉱物油を原料にランプを使って製造するランプブラック法で製造したものや、松材を燃やして製造する松煙などが用いられている[2]

ファーネス法によって製造されるカーボンブラックは煤の最小構成単位である一次凝集体の分布幅が狭い(比較的均質)のに対し、ランプブラック法で得られる煤は一次凝集体の分布幅が広い[2]。さらに煤の一次粒子径の大きさは油煙では30nm前後だが、松煙では50nm以上と大きいため、松煙を用いて作られる墨は墨色が薄いとわずかに薄青を呈する[2]
油煙墨
油煙は、煤の粒子が細かく均一で、黒色に光沢と深味がある。製法は土器に油を入れて灯芯をともし、土器の蓋についた煤を集めて作る。植物油では菜種油が最適とされるが、他にゴマ油や大豆油、ツバキキリなどがある。


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