増田成幸
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増田 成幸
Nariyuki Masuda

個人情報
本名増田成幸
ますだ なりゆき
Nariyuki MAsuna
愛称ますP
不死鳥
生年月日 (1983-10-23)
1983年10月23日(35歳)
国籍 日本
身長176cm
体重63kg
チーム情報
分野ロードレース
役割選手
特徴オールラウンダー
プロ所属チーム
2006-2007
2008-2009
2010
2011-2012
2013

2014-チームミヤタ
エキップアサダ
チームNIPPO
宇都宮ブリッツェン
キャノンデール・プロサイクリング
宇都宮ブリッツェン
グランツール最高成績
主要レース勝利
全日本選手権 個人TT(2019)
最終更新日
2019年6月27日

増田 成幸(ますだ なりゆき、1983年10月23日 - )は、宮城県仙台市出身の自転車競技ロードレース)選手。
目次

1 人物概要

2 来歴

3 脚注

4 出典・参考文献

5 外部リンク

人物概要

大学は、かねてから興味のあった航空宇宙のことを学ぶために日本大学にした。入学後に「自転車以外になにか熱くなることをやりたい」と鳥人間コンテスト出場を目的としていたサークルに加入。そのトレーニングとして実家に合った自転車を引っ張り出して自転車に乗り始めた。ロングライドやヒルクライムなどのレースに出場しているうちに「自分は自転車が好きだ」ということに気づき、「やはり自転車の道で生きていきたい」と思ったが、アマチュアの大会で結果が出せずプロチームからは声がかからなかった。2005年のジャパンカップオープンレースで2位に入り、栗村修に声をかけてもらい、自転車人生が始まった[1]

2011年シーズンのブリッツェン加入は、前年に選手生命が危ぶまれる大ケガで入院している病院で、当時のブリッツェン栗村修監督より勧誘された。ケガをする前は海外で戦いたいという思いもあったが、海外で無理するのでなく、一からレースをという気持ちで加入を決めた[1]

2013年シーズンでは海外チームに移籍したが、当時は欧州の自転車界でドーピングスキャンダルが起きた。失望感が大きく引退も考えたが、栗村修へ相談したのをきっかけにクリーンな日本でもう一度走ってみよう、ブリッツェンに戻って走ってみたいと決意した[1]

2017年4月にバセドウ病の罹患が判明、病名発表時に「神が与えた試練」と語った。その後の雑誌インタビューでは「この試練を自転車選手としてだけでなく、一人の人間として成長につなげていけたらと思っている」と語った。ベスト体重は62kgぐらいだが、バセドウ病は病勢が進むと新陳代謝が活発になるので一時58kgまで低下し、治療の結果63kgまで戻った。チームの全面的なサポートのもと、9月にレース復帰した[2]

2018年、チームのキャプテンに就任。国内や海外で経験を積んできて選手として成熟していると感じていたのでキャプテンをやってもいいという準備はできていた。先頭に立ってチームを引っ張るのではなく、ベテランから中堅・若手がいるチーム内で誰でも自由に議論のできる後方で船の舵取りのような役割ができればと考えている[2]

全日本選手権で優勝することを毎年一番の目標としている[2]
来歴

日本大学理工学部航空宇宙工学[1]時代、人力飛行機のパイロットとして、2005年に飛行距離、滞空時間の日本記録を樹立[3]。また同校在籍中に、チームミヤタと契約を結んで自転車選手としての活動も行っていた。大学卒業後、自転車選手としての活動に専念。

2005年

ジャパンカップ オープンレース 2位[1]

2008年

チームミヤタが解散したため、梅丹本舗・GDR・エキップアサダに移籍。

2010年

秋、人力飛行機の飛行距離の当時の世界記録である120キロに挑戦したが、50キロ弱付近で主翼が破断し、海面までの数メートルを落下した後墜落。腰椎圧迫骨折の重傷を負った[4]

大門宏監督率いるチームNIPPOに移籍。

2011年

宇都宮ブリッツェンに移籍[1]

ツール・ド・熊野 総合9位

全日本選手権・ロードレース 5位[1]

10月16日のサイクルロードレースジャパンツアー最終戦で落車、右半身を中心に5ヶ所骨折[5]

2012年

全日本選手権・ロードレース 2位[1]

ツール・ド・熊野 総合4位


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