増田寛也
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日本政治家増田 寛也ますだひろや
2007年8月、首相官邸
生年月日 (1951-12-20) 1951年12月20日(68歳)
出生地 東京都世田谷区
出身校東京大学法学部第1類
前職建設省建設経済局建設業課紛争調整官
所属政党無所属
称号法学士(東京大学・1977年
親族父・増田盛(元参議院議員
公式サイト増田寛也オフィシャルウェブサイト
第8-9代 総務大臣
内閣府特命担当大臣(地方分権改革)
内閣第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
福田康夫改造内閣
在任期間2007年8月27日 - 2008年9月24日
公選第13-15代 岩手県知事
当選回数3回
在任期間1995年4月30日 - 2007年4月29日
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増田 寛也(ますだ ひろや、1951年12月20日 - )は、日本政治家、元建設官僚。 第6代日本郵政取締役代表執行役社長東京大学公共政策大学院客員教授都留文科大学特任教授[1]

岩手県知事(3期)、新しい日本をつくる国民会議副代表、総務大臣(第89代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)内閣官房参与野村総合研究所顧問、日本創成会議座長、東京電力社外取締役などを歴任した。目次

1 経歴

2 人物

3 交流

4 主張、活動

4.1 県知事時代

4.1.1 県庁株式会社

4.1.2 地方分権

4.1.3 がんばらない宣言

4.1.4 在日外国人への地方参政権付与

4.1.5 公共投資

4.1.6 地方自治体


4.2 県知事退任後

4.2.1 日韓グリッド接続構想

4.2.2 従軍慰安婦

4.2.3 人口政策

4.2.4 地方への移住


4.3 東京都知事選挙

4.3.1 子育て支援・介護福祉政策

4.3.2 防災政策

4.3.3 東京オリンピック・パラリンピック

4.3.4 都有地貸与問題

4.3.5 ファーストクラス自粛

4.3.6 地方公務員数抑制



5 著書

5.1 単著

5.2 共著


6 略歴

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

経歴 2007年8月27日第1次安倍改造内閣の閣僚らと

東京都出身。父は農林官僚で参議院議員を務めた増田盛九品仏の農林省官舎で育つ。父が退官したのちは小山台に転居。東京都立戸山高等学校に進学する。

高校卒業後は予備校に通い、2年間の大学受験浪人生活を送る。1972年東京大学に入学。東京大学法学部第1類(私法コース[2])4年時には、大学の定期試験を受けずに1年留年し、国家公務員試験を受験。建設省に入省する[3]

1982年から千葉県警察本部交通部交通指導課長に出向し、ひき逃げ事故の捜査などにあたった。また射撃訓練に熱中し、柔道段位も取得。この間に結婚もした。1986年から、建設省の先輩にあたる茨城県知事竹内藤男の下、茨城県企画部鉄道交通課長を務め、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス建設の準備を4年半進め、東京都知事鈴木俊一の説得などにあたった。1993年から建設省河川局河川総務課企画官を務め、大蔵省総括主査の香川俊介と共に、ダム削減のため技官との交渉にあたった[3]

国政選挙への出馬打診は断っていたが、1994年岩手県知事選挙への立候補を決意。建設省上層部や妻の反対を受けたが、夫婦に子供がなかったことから落選しても何とかなると妻を説得し、退官した[3]小沢一郎らの支援を受け、1995年に当選。岩手県知事在任中は、2期目から小沢と決別し、宮城県知事浅野史郎三重県知事北川正恭高知県知事橋本大二郎などと親しみ、「改革派知事」の代表格として知られた。県知事時代の最高支持率は78%に達し、同時期の都道府県知事の中では東京都知事石原慎太郎の66%などを抑えて最も支持率が高かった[4]

第1次安倍改造内閣では知事出身の民間閣僚として総務大臣内閣府特命担当大臣(地方分権改革)郵政民営化担当大臣に任命された。


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