ラリードライバーの「増岡浩」とは別人です。
ますおか ひろし
増岡 弘
1962年
プロフィール
本名増岡 弘[1]
性別男性
出身地 日本・埼玉県南埼玉郡[1](現:さいたま市岩槻区)[2]
生年月日 (1936-08-07) 1936年8月7日
没年月日 (2020-03-21) 2020年3月21日(83歳没)
血液型B型[注 1][4][5]
職業声優、俳優、ナレーター[6]
事務所東京俳優生活協同組合(最終所属)[7]
配偶者あり
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重167 cm / 77 kg
声優活動
活動期間1960年代 - 2020年
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
デビュー作大熊(『狼少年ケン』)アニメデビュー作[5][9]
俳優活動
活動期間1950年代 - 不明
ジャンルテレビドラマ、舞台、特撮
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増岡 弘(ますおか ひろし、1936年〈昭和11年〉8月7日[1][10][3] - 2020年〈令和2年〉3月21日[11])は、日本の声優、俳優、ナレーター[6]。埼玉県出身[1]。最終所属は東京俳優生活協同組合[7]。 埼玉県[1]南埼玉郡(現在のさいたま市岩槻区)出身[2]。埼玉県立大宮工業高等学校卒業。 当初は絵描きを志しており東京芸術大学美術学部に入るが、「自由な絵を描きたい」という理由から2年で中退[10]。その後文化学院[1]文化芸術科卒業[2]。東郷青児に世話になるなどしたが、新しいことがやりたくなり、東京でサンドイッチマンの仕事を始める[10]。そのときの知人の誘いで舞台美術の仕事(舞台装置の制作)にかかわり演劇の世界に入るが、しだいに「食べていけない」と思うようになる[12]。 あるとき、とある公演の舞台美術を担当した際、出演する人物が資金を持ち逃亡したため、急遽その人物の代役を担当。台詞を忘れるなど恥ずかしく悔しい思いをし、「もう一度やり直したい」と希望したことがきっかけで役者に転向する[2][13]。 1957年(昭和32年)、劇団表現座を主宰[14]。友人を頼って名古屋に移った後、中部日本放送放送劇団オーディションに応募し合格[10]。1959年(昭和34年)から同劇団の専属となる[14]。 中部日本放送の東京支社に出入りしていた際にその近隣にあった喫茶店のマスターに東京俳優生活協同組合のマネージャーを紹介してもらい、1961年(昭和36年)から同事務所に所属[10]。
生涯
声優・俳優になるまで