増山道保
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日本政治家増山道保ますやま みちほ
生年月日1924年11月21日
出生地栃木県宇都宮市
没年月日 (1999-09-14) 1999年9月14日(74歳没)
死没地栃木県宇都宮市の自宅[1]
出身校巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)[2]
第26-30代宇都宮市長
当選回数5回
在任期間1979年4月30日 - 1999年4月29日
栃木県議会議員
当選回数3回
在任期間1967年 - 1979年
宇都宮市議会議員
当選回数1回
在任期間1963年 - 1967年
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増山 道保(ますやま みちほ[3][4][5]1924年大正13年)11月21日[6] - 1999年平成11年)9月14日[6])は、日本政治家宇都宮市長(5期)、栃木県議会議員(3期)、宇都宮市議会議員(1期)などを歴任した。
経歴

栃木県宇都宮市塙田町出身[7]。父・村字(むらじ)は、有限会社増山貨物(現・増山貨物自動車株式会社)の創業者で、8人きょうだい(6男2女)の3番目の男子として出生した[8]。他の兄弟が宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)へ進んだのに対し、最初から家業を継ぐつもりだったので、宇都宮商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)へ進学・卒業し、1944年に巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)を卒業した[2]。卒業から間もなく大日本帝国陸軍に応召され、仙台陸軍予備士官学校に入学、千葉県の司令部で終戦を迎えた[2]第二次世界大戦後は専門学校時代の友人とともに肝油を製造販売する会社を塩釜港で立ち上げ、6年勤めた後、宮城県の魚問屋が無償提供したトラック、運転手・助手を伴って宇都宮に戻り、増山貨物を増山貨物自動車株式会社に改組し、その専務に就任した[2]。肩書きこそ専務であったが、重い荷物の積み下ろしもいとわず、一般社員以上に朝から晩まで働きづめであった[9]

1963年統一地方選で宇都宮市議会議員に立候補して当選し[10]、宇都宮市議を1期、1967年から栃木県議を3期務める(自由民主党公認)[11]1979年渡辺美智雄の支援を受けて宇都宮市長選挙に無所属で立候補して当選、5期20年務める[11]。市長2期目以降の選挙は、事実上の信任投票であった[12]。任期中、所属する自由民主党内では栃木市長の鈴木乙一郎とともに栃木県連政調会の組織作りに取り組んだ[1]。また、第21代全国市長会会長を務めた。1999年に市長を引退し、後継に梶克之を指名した[13]が、梶は落選し、福田富一が次の市長になった[14]

政界引退後は表立った政治の場に姿を見せることはなく、趣味の山歩きや読書にいそしみ、奥日光に出かけることもあった[11]。健康問題を理由にした引退だったため、食事療法に取り組んだ[15]家業の増山貨物自動車株式会社の会長も務めた[15]。1999年9月14日午前4時53分、脳出血のため74歳で死去[5]。前日夜の渡辺喜美のパーティーに参加後、「疲れた」と家族に伝えて就寝、そのまま意識が戻らず亡くなった[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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