凡例増山正寧
時代江戸時代後期
生誕天明5年10月1日(1785年11月2日)
死没天保13年11月26日(1842年12月27日)
改名勇之丞(幼名)→正寧
別名雪園(号)
戒名鏡林院殿雪園皓然大居士
墓所東京都台東区上野の勧善院
官位従五位下、弾正少輔
幕府江戸幕府若年寄
主君徳川家斉→家慶
藩伊勢長島藩主
氏族増山氏
父母父:増山正賢
母:道姫(法園院、稲垣定計の娘)
兄弟正寧、毛利政明
妻正室:安部信亨の娘
継室:梅姫(法真院、牧野宣成の娘)
側室:芳蓮院(斎藤氏)
子正照
増山 正寧(ましやま まさやす)は、江戸時代後期の大名。伊勢長島藩の第6代藩主。長島藩増山家7代。
生涯雪園筆 蓮華鷺図(天保2年、47歳の作)
天明5年(1785年)10月1日、第5代藩主・増山正賢の長男として江戸で生まれる。享和元年(1801年)7月5日、父の隠居で家督を継ぐ。幼少時から聡明で知られており、文政5年(1822年)9月3日には若年寄に任じられた。藩政においては儒学者・中島作十郎らを招聘して藩士子弟の教育化や文治の発展に尽力している。
父・正賢(雪斎)の影響を受け、雪園と号して画作をしている。作品数は少ないが、沈南蘋風の花鳥画を得意とした。また漢詩も嗜み、菊池五山の『五山堂詩話』にも作品が掲載されている。
しかし度重なる水害で大損害を蒙ったり、9人の息子全員に先立たれたりと、不幸も相次いだ。天保13年(1842年)3月22日に病気により若年寄を辞任し、同年11月26日に死去した。享年58。婿養子の正修が跡を継いだ。 正室、継室 側室 子女
系譜
安部信亨の娘(正室)
梅姫、法真院(継室) - 牧野宣成の娘
芳蓮院(斎藤氏)
増山正照
増山正直
増山正知
増山正春
増山源三郎
増山振之助
増山正会
増山銑之助
六郷政恒正室
増山勝子 - 増山正修正室
表
話
編
歴
増山家長島藩6代藩主 (1801年 - 1842年)
菅沼家
菅沼定仍1601-1605
菅沼定芳1606-1621
近江膳所藩に転封
1621年から1649年まで幕府領
久松松平家
松平康尚1649-1685
松平忠充1685-1702
乱行により、改易
増山家
増山正弥1702-1704
増山正任1704-1742
増山正武1742-1747
増山正贇1747-1776
増山正賢1776-1801
増山正寧1801-1842
増山正修1842-1869
増山正同1869-1871
廃藩置県