増位山太志郎
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この項目では、第212代大関について説明しています。その師匠であり実父である第179代大関については「増位山大志郎」をご覧ください。

増位山 太志郎

基礎情報
四股名瑞竜 → 増位山 昇吾 → 増位山 太志郎
本名澤田 昇
生年月日 (1948-09-16) 1948年9月16日(75歳)(戸籍上は同年11月16日生まれ)[注 1]
出身兵庫県姫路市
身長182cm
体重116kg
BMI35.02
所属部屋三保ヶ関部屋
得意技右四つ、上手出し投げ内掛け
成績
現在の番付引退
最高位東大関
生涯戦歴597勝538敗18休(86場所)
幕内戦歴422勝435敗18休(59場所)
優勝十両優勝1回
技能賞5回
データ
初土俵1967年1月場所
入幕1970年3月場所
引退1981年3月場所
引退後年寄・小野川(のち三保ヶ関に名跡変更)
他の活動歌手(ムード歌謡演歌
趣味カラオケ・ゴルフ
備考
金星4個(北の富士1個、輪島3個)
2013年11月24日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

増位山 太志郎(ますいやま だいしろう[1]、歌手活動時は「たいしろう」[2]1948年9月16日[3] - )は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身の元大相撲力士。本名は澤田 昇(さわだ のぼる)、最高位は東大関。現役時代の体格は身長182cm、体重116kg。血液型はO型。得意手は右四つ、上手出し投げ内掛け

引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。現在は歌手ムード歌謡演歌)として活動しており、ゴールデンミュージックプロモーションに所属している。経営する「ちゃんこ増位山」はミシュラン東京2017にて掲載された事がある。

趣味はカラオケゴルフ
来歴・人物

7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都ではあるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。「増位山」は、先代の出身地である姫路市にある山の名である。
大相撲・現役時代

小学生の頃から相撲が好きで、入門前から三保ヶ関部屋の大部屋に入り浸る内に力士生活への憧れが芽生えた[4]。中学2年の時に実父に相撲界への入門を志願したが断わられた。しかしどうしても入門したい理由から、「ここで許されないなら他の部屋に入る!」と切り出した為、父親も折れて入門を許し[注 2]1967年(昭和42年)1月場所、瑞竜の四股名初土俵北の湖と同期だった。ちなみに日大一中・一高では水泳部(競泳)に所属し、インターハイ出場の経験もあった[注 3]

三段目にいた1968年(昭和43年)5月場所から父の四股名である増位山を継ぎ、1969年(昭和44年)7月場所新十両と2年余りで関取の座を掴む。1970年(昭和45年)3月場所に入幕したが負傷で何度か往復した。その後上位に進んでは大負けして落ちる繰り返しだったが徐々に三役に定着し5度目の三役昇進となった1979年(昭和54年)9月場所(小結)から相撲ぶりが目立って良くなり、翌11月場所関脇で11勝4敗と三役で初の二桁勝利を達成し、2場所連続で三賞(技能賞)を獲得。

1980年(昭和55年)1月場所は「年齢からみて最初で最後のチャンスかもしれない」[5]と大関昇進に挑む場所となり、初日に対戦成績で18連敗中だった苦手の横綱輪島外掛けで破り[6]勢いに乗った。この場所を12勝3敗で終え、高砂審判部長(元横綱朝潮)は「今場所の十二勝の成績や大関が現在一人である点を考慮する」[7]と述べ、場所後の理事会で増位山の大関昇進が決まった。この前場所から大関は貴ノ花1人しか居ない番付上の状況が増位山には有利に働き、この3場所合計31勝で直近の大関昇進の事例と比較すると勝率で劣ることや、副業(歌手)によるイメージダウンも「反対意見として押し切るには至らないとみられる。」[8]とされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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