墓地
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墓地(ぼち)は、亡くなった遺体遺骨埋葬するを設けるための区域[1]。墓場(はかば)ともいう。なお、墓をつくるために土地(墓地等)の一部を区画した部分を墓所(ぼしょ)という[1]
概要「」も参照

本項目では、墓を設けるための区域について主に解説する。個々の墓や埋葬葬制に関する事項については、「」などの項目を参照。
定義イギリス、ノースハンプシャー州のアシュビー城の墓地

英語で墓地を意味する cemetery という言葉は、ギリシア語の κοιμητ?ριον (眠る場所)、つまりそこに死者永遠の眠りについている場所を暗示する言葉に由来している。墓地は、西ヨーロッパ諸国では故人の葬儀の最後の儀式が執り行われる場所でもある。こうした儀式、もしくは祭礼は、文化信仰宗派によってもかなり異なってくる。墓地はその設けられる場所により、それ以外のところにある墓地とはかなり区別されるものになってくる。

文化や地域にもよるが、墓地は通常は礼拝の場所、つまり教会礼拝堂に直接隣接するものではない。たとえば、英語で言う graveyard (墓所)というものは、たいていは churchyard(教会の中庭)に設けられている。スコットランドイングランドでも北部では kirkyaird という。churchyard というのは、もともとは文字通り教会の前の中庭であって、直ちに墓所に結びつくものではなかった。たとえば、哲学者セーレン・キルケゴールのラストネームは、やはりデンマーク語で「墓地」のことであると、しばしば誤解されているのもその例である。実際には教会に附属する周辺の農牧地(-gaard, 英語の garden の原義である「囲い地」の意に近い)を意味する。
歴史

およそ17世紀頃からヨーロッパでの葬儀は、教会の統制の下に、主として教会の敷地の中で行われるようになってきた。その仕来たりは時代と共に変化はしてきたが、ヨーロッパ大陸では遺体は、それが腐敗するまで、通常そのまま大規模な墓の中に埋葬されていた。遺体が腐り果てると、掘り起こして納骨堂に収められた。でなければ、墓所の側面のアーチを描くような壁に沿って並べられるか、あるいは教会の壁の背後、もしくは床の厚い石板の下に納められた。

その後、中世の時代、都市の城壁の内部に遺体を埋葬することは、伝染病の蔓延につながり公衆衛生上深刻な問題となった。結局、いくつかの墓地は、人口の密集した都市の中心部から引き離されることになった。たとえば、18世紀後半、パリの大きな墓地から掘り起こされた遺骨は、パリのカタコンブの中の納骨堂に移され、墓地は、都市中心部では一切禁じられることになった。ハバナの墓地

教会や教会付属の墓地とは無関係の墓地管理会社や共同墓地の類は、大多数が19世紀初頭から出現してくる。特に眺望がよく、公園のような霊園というかたちで、既にその時期から誕生してきている。ただし、墓地解放運動は、既に1740年頃からその動きがでてきている。

空間的に風景となるような様式の墓地の最も初期の例は、パリのペール・ラシェーズ墓地である。これは教会によって統制された墓地というよりも、国家の墓地という理想を体現したもので、ナポレオン戦争の拡大と共にそのスタイルはヨーロッパ中に広まっていった。これはまた時には民間業者によって開発された墓地にもこのスタイルが採用された。
現代

共同墓地や民間業者による墓地への移行は、都市の外での埋葬するための土地開発と相俟って進行した。マドリードでは飽和状態になった墓地の掘り起こしにより、新たな場所が作られている

墓地は一般に厳かな敬意を以って見られる場所であるが、しばしばそこには礼拝堂のような宗教的施設も付属した。時には火葬場が併設されることもある。墓の盗掘やそうした宗教施設への盗みは、重い罪とされている。

墓地の様式は国によってもかなり変化してきている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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