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境野 哲(さかいの さとる/さとし、明治4年8月12日(1871年9月26日) - 昭和8年(1933年)11月11日)は、日本の仏教史学者・仏教運動家。宗教家(真宗大谷派僧侶)。文学博士。専門は中国仏教史。号は黄洋(こうよう)。境野黄洋の通称で知られる。 宮城県名取郡(現在の仙台市太白区)出身。哲学館(東洋大学の前身)出身。東洋大学教授を務める傍ら、曹洞宗大学(駒澤大学の前身)にも出講。新仏教同志会の中心メンバーであり、雑誌『新仏教』(1900-1915年)発刊に尽力。禁酒・禁煙・廃娼運動を展開。また、明治27年(1894年)には鷲尾順敬や村上専精らと雑誌『仏教史林』を創刊。大正7年(1918年)、東洋大学(哲学館)出身者として初めて、同大学の学長に就任。大正12年(1923年)、学内で起きた紛擾事件(境野事件)の責任を問われ、文部省による認可取消処分を受け学長を辞任。1926年に駒澤大学教授に就任[1]。1930年『随唐以前ニ於ケル仏教ノ変遷』で博士号(文学、駒澤大学)を取得した[2]。墓所は文京区真浄寺。
来歴
主著・監修
『支那佛教精史』
『支那佛教史講話』
『支那の佛教』
『印度支那佛教小史』
『日本佛教小史』
『日本佛教発達概観』
『天台四教儀講話』
仏教信仰実話全集『宗教の門』
『佛教論理學』(村上専精との共著)
『宗教の本性』
『アメリカより日本の女へ』
『模範佛教辞典』監修(他に井上哲次郎ら4名)
『境野黄洋選集』
出典^ 「境野黄洋」20世紀日本人名事典?kotobank.jp
^ 『随唐以前ニ於ケル仏教ノ変遷』で博士号?国立国会図書館サーチ
関連文献
東洋大学 『東洋大学創立五十年史』 1937年
関連項目
境野事件
外部リンク
歴代学長|東洋大学
菅沼晃、新仏教運動と哲学館?境野黄洋と高嶋米峰を中心に? 『印度學佛教學研究』 2000年 49巻 1号 p.1-11, doi:10.4259/ibk.49.1
表
話
編
歴
東洋大学学長(第4代:1918年 - 1923年)
哲学館主
井上円了 1887-1903
(旧制専門学校)哲学館大学長
初代 井上円了 1904-1906
第2代 前田慧雲 1906
(旧制専門学校)東洋大学長
第2代 前田慧雲 1906-1914
第3代 大内青巒 1914-1918
第4代 境野哲 1918-1923
事務取扱 湯本武比古 1923
第5代 岡田良平 1923-1924
事務取扱/第6代 中島徳蔵 1924-1926/1926-1928
東洋大学長
事務取扱/第7代 中島徳蔵 1928-1929/1929-1931
第8代 高楠順次郎 1931-1934
第9代 藤村作 1934-1937
第10-11代 大倉邦彦 1937-1943
第12代 高嶋米峰 1943-1944
第13代 高島平三郎 1944-1945
第14代 橋本増吉 1945-1946
第15代 藤原猶雪 1946-1948
第16代 加藤虎之亮 1948-1949