境川
境川(高田橋駅付近)
水系一級河川 木曽川
種別一級河川
延長30.3 km
流域面積55 km²
水源新境川
河口・合流先長良川(岐阜県羽島市)
流域岐阜県
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岐阜市周辺主要河川の位置関係図
境川(さかいがわ)は、木曽川水系の一級河川。岐阜県各務原市・岐阜市・羽島郡岐南町・羽島郡笠松町・羽島市を流れる。長良川・揖斐川を経て伊勢湾に至る木曽川の3次支川[1][2]。
概要.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}御囲堤建造前の木曽川左派川(緑は木曽川本川および主要派川)。大江川は二之枝川の中流部から分岐。明治から昭和に整備された木曽川周辺の河川(緑は整備・開削された河川・用水)
境川・概略図
岐阜県道152号(岩地橋)
東海北陸自動車道(境川橋)
一部が新荒田川に分岐
岐阜県道181号(高田橋)
JR東海道本線
岐阜県道77号(新境川橋)
名古屋鉄道名古屋本線
岐阜県道175号(厚南大橋)
岐阜県道14号(境川橋)
岐阜県道183号(八幡大橋)
岐阜県道164号(八幡橋)
岐阜県道151号(茜部大橋)
岐阜県道154号(新境川橋)
岐阜県道153号(境川橋)
岐阜県各務原市那加東野町付近で新境川から分岐し、岐阜市、羽島郡岐南町、笠松町を経て羽島市福寿町本郷付近で長良川へと合流する[3]。分岐点下流側の新境川は後述する「境川放水路」に相当し、上流側の新境川は境川放水路開削以前の境川本流であった。現在では新境川を「各務原市鵜沼北島付近を源流とする木曽川(北派川)の支流」とし、境川は「新境川から分岐する長良川の支流」として位置づけられている[3]。
岐阜市高田付近で新荒田川に一部が分岐するが、新荒田川から分岐した領下川は岐阜市上川手付近で境川に合流し、新荒田川本体も羽島郡笠松町付近で境川に再合流する。 古代の木曽川本流は、現在の境川・荒田川の流路を通り西へ流れ長良川へ合流した(現在の本流河道よりも北方)。 その後、木曽川本流は南へ移動し、荒田川を流れなくなり、現在の境川下流部の河道を通り長良川へ合流した[4]。流路移動が原因となり、866年に美濃国と尾張国との間で広野川事件が起きた。 この古木曽川が美濃国と尾張国との新たな国境(くにざかい)となり、現在の「境川」の名称もこれに由来する[4]。境川左岸の堤防は鎌倉時代以前の構築と考えられ、美濃路はこの堤防を利用していた[5]。 1586年(天正14年)の大洪水の後、木曽川本流は南へ移動し、おおよそ現在の河道に落ち着き、境川を流れなくなった。木曽川と境川に挟まれた地域には桑原輪中などが形成された。 本流が新たな木曽川に移り境川の水量は大幅に減少したため、全国統一の途上にあった豊臣秀吉によって国境は新たな木曽川へ変更され、新たな木曽川と境川の間の地域は美濃国に編入された[4]。 1921年(大正10年)に木曽川上流改修工事が始まると、境川・荒田川の抜本的な排水改善が議論されるようになる[6]。
歴史
古木曽川
新境川の誕生詳細は「新境川」および「木曽川上流改修工事」を参照