境川浪右衛門
[Wikipedia|▼Menu]

境川 浪右衛門

境川浪右衛門
基礎情報
四股名境川 浪右衛門
本名宇田川 政吉→市川 政吉→市川 浪右衛門
愛称一ツ目の大名大関・明治の谷風
明治最初の三幅対(美男三羽烏)
生年月日1841年5月28日天保12年4月8日
没年月日 (1887-09-16) 1887年9月16日(46歳没)
出身下総国葛飾郡(現:千葉県市川市
身長170cm
体重128kg
BMI44.29
所属部屋境川部屋
得意技左四つ、諸差し、腹櫓、吊り
成績
現在の番付引退
最高位第14代横綱
幕内戦歴118勝23敗71分5預63休(28場所)
優勝優勝相当成績5回
データ
初土俵1857年11月場所
入幕1867年4月場所
引退1881年1月場所
備考
2014年9月1日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

境川 浪右衛門(さかいがわ なみえもん、1841年5月28日天保12年4月8日) - 1887年明治20年)9月16日)は、下総国葛飾郡(現・千葉県市川市高谷[1])出身で境川部屋に所属した大相撲力士。第14代横綱。本名は宇田川 政吉(うだがわ せいきち(まさきち))で、のちに市川 政吉(いちかわ - )から市川 浪右衛門( - なみえもん)。
来歴

1841年下総国葛飾郡(現:千葉県市川市)で製塩業を営む家に三男として生まれる。13歳で江戸・新川(現:東京都中央区新川)にあった酒問屋「小西屋」に奉公へ出たが、四斗樽を楽々と運ぶ政吉を見た相撲好きの主人が力士転向を熱心に勧め、境川部屋に入門、1857年11月場所で初土俵を踏んだ。四股名の「小西川」は最初に奉公へ出た小西屋から付けたもので、後に四方山と改名した際は、小西屋の得意先で化粧廻しを新調した人物が経営する酒屋の屋号「四方屋」から付けたものだった。

小兵にもかかわらず太鼓腹・怪力で初土俵から順調に出世していき、1867年4月場所の新入幕(同時に「増位山 大四郎」と改名)を経て1869年11月場所後に大関へ昇進、年寄境川二枚鑑札となり「境川 大四郎」と改名、翌場所には「境川 浪右衛門」を襲名した。1877年には東京・麻布の島津邸で明治天皇の天覧相撲が開催される予定だったため、同年2月に五条家から横綱免許が授与されたほか、吉田司家からも故実門人へ加えられたが、西南戦争によって天覧相撲が中止された。吉田善門は西南戦争の西郷軍に対して各地を転戦した末に降伏したため、吉田司家から境川へ対する横綱免許が授与できず、1878年2月にようやく吉田司家からも横綱免許の授与を承認する形が取られた[2]

幕内時代はどんな対戦相手でもいきなり破らず、十分に相撲を取らせた上で勝負に出るので、対戦相手は境川に敗れても土俵態度に好感を持ったという。こうした余裕の取り口から引き分けが非常に多く[2]、全勝での優勝相当成績は無かった。1881年1月場所限りで現役を引退し、年寄・境川専任となった。その後は自分の弟子だけでなく他の弟子にも分け隔てなく稽古を付けることから力士から尊敬され、東京・本所一ツ目に自宅があったことから「一ツ目の大名大関」[2]「明治の谷風」と称され、後に相撲長・取締編輯人を歴任し、1885年の天覧相撲では角力長を務めた。明治維新後の衰退した角界を支えた功労者とされる[2]

ところが、現役時代に千草山との取組で同体に倒れた際に四本柱へ頭部を強く打って以来頭痛が持病となり、相撲会所内での高砂浦五郎との意見の相違からの対立・衝突に加えて、結婚した妻(師匠の娘で、境川は婿入りした)は浪費や不貞を重ねる悪妻で、妻が浮気したことで弟子の一人が、浮気相手である役者を両国橋で殴ったうえに橋から突き落として水死させる事件が発生した。弟子は逮捕されるも動機に同情の余地があるとして釈放されたが、入牢中の重病が原因で亡くなったために境川は不憫に思って手厚く葬った。このように晩年の境川の周囲では公私問わず様々な問題・トラブルが多く発生したことから酒量が増して体調を崩し、茶の湯俳諧に親しんだものの、1887年9月16日に死去、46歳没。
主な成績

通算幕内成績:118勝23敗71分5預63休 勝率.837

幕内在位:28場所(うち小結1場所、関脇2場所)

大関在位:12場所

横綱在位:10場所

優勝相当成績:5回

鬼面山谷五郎との成績は2勝1敗3分だったが、梅ヶ谷藤太郎(初代)とは梅ヶ谷入幕前は3連勝するも梅ヶ谷入幕後は0勝5敗1分2預と苦戦した。
場所別成績

江戸相撲の本場所のみを示す。

場所地位成績備考
安政4年(1857年)11月場所序ノ口
安政5年(1858年)1月場所西四段目29
安政5年(1858年)11月場所西四段目10
安政6年(1859年)1月場所西四段目10
安政6年(1859年)11月場所西三段目25
安政7年(1860年)2月場所西三段目11
万延元年(1860年)10月場所西二段目43
万延2年(1861年)2月場所東二段目42
文久元年(1861年)10月場所東二段目37
文久2年(1862年)2月場所東二段目38
文久2年(1862年)11月場所東二段目33
文久3年(1863年)7月場所不出場
文久3年(1863年)11月場所東二段目13
元治元年(1864年)4月場所東二段目107勝2敗1分
元治元年(1864年)10月場所東二段目76勝3敗1分
元治2年(1865年)2月場所東二段目54勝3敗1分2休
慶應元年(1865年)11月場所東二段目35勝1敗3分1休
慶應2年(1866年)3月場所東二段目15勝2敗1分1預1休
慶応2年(1866年)11月場所西二段目17勝1敗1分1休
慶應3年(1867年)4月場所西前頭64勝1敗4分1休
慶應3年(1867年)11月場所西前頭44勝1敗4分1休
慶應4年(1868年)6月場所東前頭28勝0敗1分1休優勝相当
明治元年(1868年)11月場所東小結4勝2敗3分1休
明治2年(1869年)3月場所東関脇8勝0敗1分1休優勝相当(2)
明治2年(1869年)11月場所東関脇7勝0敗2分1休優勝相当(3)
明治3年(1870年)3月場所東大関6勝0敗2分2休優勝相当(4)
明治3年(1870年)11月場所東大関6勝1敗2分1休
明治4年(1871年)3月場所東大関5勝0敗3分2休
明治4年(1871年)11月場所東大関6勝0敗1分1預2休優勝相当(5)
明治5年(1872年)4月場所東大関4勝1敗4分1休
明治5年(1872年)11月場所東大関3勝1敗5分1休
明治6年(1873年)4月場所東大関6勝0敗3分1休
明治6年(1874年)12月場所東大関3勝2敗3分2休
明治7年(1874年)3月場所東大関4勝1敗3分1預1休
明治7年(1874年)12月場所東大関6勝1敗2分1休
明治8年(1875年)4月場所東大関4勝1敗3分2休
明治9年(1876年)1月場所東大関6勝1敗2分1休
明治9年(1876年)4月場所東大関4勝2敗3分1休
明治10年(1877年)1月場所東大関4勝0敗6休場所後2月に横綱免許
明治10年(1877年)6月場所東大関4勝2敗3分1休
明治10年(1877年)12月場所東大関4勝1敗2分1預2休
明治11年(1878年)6月場所東大関3勝1敗3分1預2休
明治12年(1879年)1月場所東大関1勝1敗5分3休
明治12年(1879年)6月場所東大関2勝2敗4分1預1休
明治13年(1880年)1月場所東大関10休
明治13年(1880年)5月場所東大関2勝1敗3分4休
明治14年(1881年)1月場所東大関格張出10休引退

脚注[脚注の使い方]^ “千葉県出身の幕内力士”. 千葉県ホームページ. 2020年2月25日閲覧。
^ a b c d 『大相撲ジャーナル』2021年1月号 20ページ

関連項目

横綱一覧

年寄株










第14代横綱(在位:1876年2月 - 1881年5月)
初代 - 10代

初代明石志賀之助

2代綾川五郎次

3代丸山権太左衛門

4代谷風梶之助

5代小野川喜三郎

6代阿武松緑之助

7代稲妻雷五郎

8代不知火諾右衛門

9代秀ノ山雷五郎

10代雲龍久吉

11代 - 20代

11代不知火光右衛門

12代陣幕久五郎

13代鬼面山谷五郎

14代境川浪右衛門

15代梅ヶ谷藤太郎(初代)

16代西ノ海嘉治郎(初代)

17代小錦八十吉

18代大砲万右エ門

19代常陸山谷右エ門

20代梅ヶ谷藤太郎(2代)

21代 - 30代

21代若嶌權四郎

22代太刀山峯右エ門

23代大木戸森右エ門

24代鳳谷五郎

25代西ノ海嘉治郎(2代)

26代大錦卯一郎

27代栃木山守也

28代大錦大五郎

29代宮城山福松

30代西ノ海嘉治郎(3代)

31代 - 40代

31代常ノ花寛市

32代玉錦三右エ門

33代武藏山武

34代男女ノ川登三

35代双葉山定次

36代羽黒山政司

37代安藝ノ海節男

38代照國萬藏

39代前田山英五郎

40代東富士欽壹

41代 - 50代

41代千代の山雅信

42代鏡里喜代治

43代吉葉山潤之輔

44代栃錦清隆

45代若乃花幹士(初代)

46代朝潮太郎

47代柏戸剛

48代大鵬幸喜

49代栃ノ海晃嘉

50代佐田の山晋松

51代 - 60代

51代玉の海正洋

52代北の富士勝昭

53代琴櫻傑將

54代輪島大士

55代北の湖敏満

56代若乃花幹士(2代)

57代三重ノ海剛司

58代千代の富士貢

59代隆の里俊英

60代双羽黒光司

61代 - 70代

61代北勝海信芳

62代大乃国康

63代旭富士正也

64代曙太郎

65代貴乃花光司

66代若乃花勝

67代武蔵丸光洋

68代朝青龍明徳

69代白鵬翔

70代日馬富士公平

71代 - 80代

71代鶴竜力三郎

72代稀勢の里寛

73代照ノ富士春雄

無類力士

雷電爲右エ門


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef