塩野義製薬株式会社
SHIONOGI & CO., LTD.
本社
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 4507
塩野義製薬株式会社(しおのぎせいやく、英語: SHIONOGI & CO., LTD.)は、大阪府大阪市中央区道修町三丁目に本社を置く、日本国内の大手製薬企業であり、処方箋医薬品と一般用医薬品を主とする製薬企業である。公式の社名略称としてシオノギ製薬、あるいはシオノギも用いられている[4][注釈 1]。
社名の由来は、創業者の塩野義三郎の名に因むもの[注釈 2]。ロゴマークは、天秤で薬量を正確に計量するために用いられた分銅に由来している[注釈 3]。2022年7月に現代的且つ視認性向上を目的に再デザイン(マイナーチェンジ)された[5]。
概要塩野義製薬ロゴマーク
2017年7月時点の時価総額は、武田薬品工業、アステラス製薬、大塚ホールディングス、中外製薬に次いで医薬品セクターで5位に位置する。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ[6][7]。JPX日経インデックス400の構成銘柄である。 創業者の塩野義三郎が、1878年(明治11年)3月17日に、大阪・道修町にて薬種問屋「塩野義三郎商店」を開く[注釈 4]。塩野家と道修町との関係は、義三郎の祖父・初代吉兵衛[注釈 5]が、1789年、道修町の薬種商「塩野屋藤兵衛」家に12歳で奉公に出た時に始まる。初代吉兵衛は、1808年、塩野屋藤兵衛の別家として、言わば「のれん分け」というカタチで、塩野屋吉兵衛を名乗ることとなる。"塩野"姓を名乗るのは、続く二代目吉兵衛の時である(1872年)。なお、塩野屋という屋号自体は、道修町に残る最も古い文書(1658年)にも記載されており、道修町でも古いのれんを誇っていた。また、塩野義三郎の本家にあたる塩野屋吉兵衛は明治末期に香料へ事業を転換し、塩野香料として道修町で営業を続けている。 創業当初は和漢薬専門であったが、明治維新後の西洋医学普及に伴い、洋薬の需要が高まると共に、1886年、和漢薬専門から洋薬のみを取り扱う方針に切り替える。そして1909年には、自家新薬第一号として「アンタチヂン」(健胃制酸薬)を製造販売する。
創業
和漢薬問屋から洋薬専門メーカーへ