日本の政治家塩谷 立しおのや りゅう
2008年9月、麻生内閣にて文部科学大臣就任に際し、文部科学省が公表した肖像写真
生年月日 (1950-02-18) 1950年2月18日(72歳)
出生地 日本 静岡県
出身校慶應義塾大学法学部
所属政党自由民主党(安倍派)
称号法学士
親族父・塩谷一夫(元衆議院議員)
公式サイト ⇒塩谷 立 自民党 オフィシャルサイト
第10代 文部科学大臣
内閣麻生内閣
在任期間2008年9月24日 - 2009年9月16日
内閣官房副長官(政務担当)
内閣福田康夫改造内閣
在任期間2008年8月2日 - 2008年9月24日
衆議院議員
選挙区(旧静岡3区→)
(静岡8区→)
(比例東海ブロック→)
(静岡8区→)
比例東海ブロック
当選回数10回
在任期間1990年2月19日 - 1996年9月27日
1999年4月11日 - 2000年6月2日
2003年11月10日 - 現職
その他の職歴
第50代 自由民主党総務会長
(総裁:谷垣禎一)
(2011年9月30日 - 2012年9月28日)
第5代 自由民主党選挙対策委員長
(総裁: 安倍晋三)
(2017年8月3日 - 2018年10月2日)
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塩谷 立(しおのや りゅう、1950年〈昭和25年〉2月18日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、衆議院国家基本政策委員長、自由民主党財務委員長。
文部科学大臣(第11代)、内閣官房副長官(福田康夫改造内閣)、自由民主党総務会長(第50代)、自由民主党選挙対策委員長(第5代)、自由民主党静岡県連会長、自民党たばこ議員連盟副会長等を歴任。 静岡県立静岡高等学校卒業後、米国カリフォルニアのアンバサダーカレッジに留学。帰国後、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した[1]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
来歴 マイクの前に座る塩谷
生い立ち
政治家として
出典検索?: "塩谷立"
1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧静岡3区から自由民主党公認で出馬し、初当選。1993年の第40回衆議院議員総選挙でも再選されたが、小選挙区制導入後初めて実施された1996年の第41回衆議院議員総選挙では静岡8区で北脇保之(前浜松市長)に敗れ、落選。
1999年4月、北脇が浜松市長選挙に出馬するため衆議院議員を辞職し、それに伴う補欠選挙で鈴木康友(後に浜松市長に転身)を破り国政に復帰[1]。2000年の第42回衆議院議員総選挙では前回下した鈴木に敗れ再び落選するが、2003年の第43回衆議院議員総選挙で鈴木を僅差で破り当選[2]。2005年の第44回衆議院議員総選挙では鈴木に比例復活を許さず当選した[3]。
2008年8月に発足した福田改造内閣で内閣官房副長官に就任。同年9月、麻生内閣で文部科学大臣に就任した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、静岡8区で民主党新人の斉藤進に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、6選。同年9月、麻生内閣総辞職に伴い、文部科学大臣を退任した。
2009年9月より自民党静岡県連会長を務める[4]。(?2021/7/15)
2011年9月30日、自由民主党総務会長に就任。2012年の第46回衆議院議員総選挙で7選。2014年の第47回衆議院議員総選挙で8選[1]。
2014年より日本・コソボ友好議員連盟初代会長。2019年10月23日には、即位礼正殿の儀に参列のため訪日中のハシム・サチ大統領より「コソボ共和国名誉大使」を授与された[5]。
2017年8月3日、自由民主党選挙対策委員長に就任[6]。2017年の第48回衆議院議員総選挙で9選。
2020年11月19日、衆院永年在職25年表彰を受ける。
2021年の第49回衆議院議員総選挙で3度下してきた立憲民主党の源馬謙太郎に敗れ、比例復活で10選。
政策
憲法9条の改正と集団的自衛権の行使に賛成。