塩船観音寺
境内とつつじ祭り
所在地東京都青梅市塩船194
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度48分15.4秒 東経139度16分52.4秒 / 北緯35.804278度 東経139.281222度 / 35.804278; 139.281222
塩船観音寺(しおふねかんのんじ)は、東京都青梅市塩船にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は大悲山。関東八十八ヶ所霊場第七十二番札所、東国花の寺百ヶ寺東京第十三番札所、奥多摩新四国八十八ヶ所霊場第五十九番札所。御詠歌『わすれずも みちびきたまえ かんぜおん ぐぜいのふねに のりていたらむ』 伝説によれば、大化年間(645年 - 650年)に、若狭国の八百比丘尼が、紫金の千手観音像を安置したことに始まるという。また「塩船」の名は、天平年間(729年 - 749年)に行基がこの地を訪れた際、周囲が小丘に囲まれて船の形に似ているところから、仏が衆生を救おうとする大きな願いの船である「弘誓の舟」になぞらえて、名付けられたものと伝えられている。貞観年間(859年 - 877年)には、安然が12の坊舎を建てるなど、興隆を極めたという。 鎌倉時代には武蔵七党の流れを汲む金子氏の庇護を受け、室町時代には青梅・奥多摩方面に勢力をもっていた三田氏の帰依を得て栄えた。 室町時代後期に建てられた本堂、阿弥陀堂、仁王門は、本堂内の厨子とともに国の重要文化財に指定。本尊の十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音)像、眷属の二十八部衆像も同じく国の重要文化財に指定されている。 また、ツツジが有名で、毎年春(特に5月)にはつつじ祭りが開催されている。多くの観光客が押し寄せるが、この時期には入山料が必要である。現地の人には初詣の対象とされている。 以上3棟はいずれも室町時代後期頃の建立。1946年(昭和21年)に旧・国宝保存法に基づく国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定され、1950年(昭和25年)8月29日、文化財保護法施行にともない重要文化財になっている。
歴史
文化財本堂(国の重要文化財)ツツジと本堂
重要文化財(国指定)
本堂(附:厨子) - 室町時代後期(1467年-1572年)の建立。桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、茅葺。
仁王門 - 室町時代後期(1467年-1572年)の建立。三間一戸八脚門、切妻造、茅葺。
阿弥陀堂 - 室町時代後期(1467年-1572年)の建立。桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造妻入、茅葺形銅板葺。桁行2間、梁行1間の身舎の周囲に庇をめぐらした形式になる。
木造千手観音立像1?・木造二十八部衆立像28?
千手観音は快勢作、像内に「塩船寺本尊、文永元年(1264年)十二月、大仏師法眼快勢等」の銘がある。二十八部衆像は23?が鎌倉時代、定快作、5?が室町時代、弘円作。8?の像内に「文永五年(1268年)、同六年(1269年)、建治二年(1276年)、弘安十一年(1288年)、定快作」等の銘、うち2?の台座に「永正九年(1512年)、法橋弘円」等の銘がある[1][2]
東京都指定有形文化財
木造金剛力士(仁王)立像 2躯 - 1960年(昭和35年)指定。
青梅市指定有形文化財
薬師堂 - 1968年(昭和43年)指定。
木造薬師如来立像 - 1968年(昭和43年)指定。
木造毘沙門天立像 本尊脇侍 - 1968年(昭和43年)指定。
木造観音菩薩立像 阿弥陀如来脇侍 - 2005年(平成17年)指定。
銅鐘 - 1968年(昭和43年)指定。
青石塔婆(大板碑) - 1964年(昭和39年)指定。
大般若経 - 1964年(昭和39年)指定。
東京都天然記念物