塩田 定市
生誕1886年6月17日
日本 福岡県
死没 (1940-12-29) 1940年12月29日(54歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴1909年 - 1940年
最終階級 陸軍中将
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塩田 定市[注釈 1](しおだ ていいち、1886年(明治19年)6月17日[1] - 1940年(昭和15年)12月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2] 1886年(明治19年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第31期卒業[1]。1933年(昭和8年)に陸軍歩兵大佐進級と同時に徳島連隊区司令官に就任した[2]。1935年(昭和10年)に歩兵第47連隊長を経て[2]、1937年(昭和12年)に陸軍少将に進級と同時に歩兵第12旅団長に就任した[1][2]。 1939年(昭和14年)9月に台湾混成旅団長(第21軍)に転じ[1]、日中戦争に出動[1]。第21軍主力と離れ、南寧で第5師団と共に行動中、国民党軍15個師以上の攻撃を受け悪戦苦闘したが、第18師団・近衛混成旅団の救援により反撃した[1]。同年10月には陸軍中将に進級し[2]、賓陽作戦でも戦果を収めた[1]。1940年(昭和15年)8月に東京湾要塞司令官に就任したが[1]、同年12月20日に死去[1]。
経歴
脚注
注釈^ 日本陸軍将官辞典では塩田定一表記である[1]
出典^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 361頁.