塩次伸二
出生名塩次伸二
出身地 日本福岡県
死没
(2008-10-19) 2008年10月19日(57歳没)
日本栃木県佐野市
ジャンルブルース
職業ギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1971年 ? 2008年
レーベル徳間バーボン、Show Boat、Invitation、ZAIN
共同作業者ウエスト・ロード・ブルース・バンド、しいちゃんブラザーズ、ダウンホーマーズ
公式サイト ⇒http://www.ss335.com/
塩次伸二(しおつぐしんじ, 1951年3月5日 ? 2008年10月19日)は、日本のギタリスト。ウエスト・ロード・ブルース・バンド創設メンバーのひとり。 1971年、塩次は同志社大学の軽音楽部に在籍していた永井"ホトケ"隆、小堀正に山岸潤史と松本照夫を加え、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを結成[3][2]。彼らは翌1972年には、B.B.キングの大阪公演のオープニング・アクトを務めた[2]。 1975年、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを脱退し、ドラマーの井上茂のバンド、しいちゃんブラザーズやハーモニカ奏者の入道らと結成したダウンホーマーズなどで活動する。ダウンホーマーズは1976年にアルバム『Oh Yeah!』をリリースした[4] 1984年には、ウエスト・ロード・ブルース・バンドがオリジナル・メンバーで再結成し、アルバム『JUNCTION』をリリースした。 1987年、初のソロ・シングル『ビッグ・タウン・ブルー』をリリース。 1990年、ピアニスト、有吉須美人(アリヨ)のバンド、アリヨズ・シャッフルに参加。シカゴのヴァレリー・ウェリントンをヴォーカリストに迎えて、日本をツアーした[5]。このときの高円寺JIROKICHIのライヴはアルバム『Shuffle』として1991年にリリースとなった[6]。 1993年、チャールズ・アーランドと酒井潮という2人のオルガン奏者を迎え、塩次伸二ブルーヴィー・ミーティン名義で『COOKIN' WITH B-3』をリリース。4ビート、ジャンプからラテン・サウンドまで展開した[7]。 2001年にはNacomiが塩次のバンドに加入し、2年間活動を共にしている。塩次は、彼女の2007年のデビュー・アルバム『Grabbed My Heart』に客演した[8]。 2001年以降、ポール・ジャクソン、マーティー・ブレイシー、小島良喜をメンバーとしたBAD BOYS BLUES BAND、セッション・バンドのブルース・アンボセリなどでも活動している[2]。 2007年には、ソロ名義としては初のアルバムとなる『Can't Stop Playin' The Blues』をリリース。同年、ウエスト・ロード・ブルース・バンド時代からの盟友山岸潤史とのニューオーリンズ録音の共演作『TOGETHER AGAIN ?Blues in New Orleans』もリリースしている[9]。 2008年10月18日、公演のため訪れた栃木県佐野市で公演前に体調が急変、翌10月19日、同市の病院にて心不全のため死去した。57歳だった[10]。
来歴
ディスコグラフィー
ウエスト・ロード・ブルース・バンド
1975年 『ブルース・パワー』 (徳間バーボン)
1975年 『ライヴ・イン・キョート』 (徳間バーボン)
1984年 『ジャンクション』 (ビクター/インヴィテーション)
1995年 『ウエストロード・ライヴ・イン・ニューヨーク』 (ZAIN)[11]
ソロ作など
1976年 『Oh Yeah!』 (Show Boat) ※ダウンホーマーズ名義[4]
1993年 『Cookin' With B-3』 (Vivid Sound) ※塩次伸二ブルーヴィー・ミーティン名義
1996年 『ブラック・ミュージックfrom Jirokichi』 (P-Vine) ※Paul Jackson、Hi Tide Harrisらとのセッション盤[12]
2007年 『Can't Stop Playin' The Blues』 (Mojo) ※ソロ作
2007年 『TOGETHER AGAIN ?Blues in New Orleans』 (ビクター) ※山岸潤史との共演作
脚注[脚注の使い方]^ ダンファンのお部屋-歩けよ乙女のダンファンな日々
^ a b c d ⇒塩次伸二バイオ 2023年9月6日閲覧
^ 1975年4月1日、ウエスト・ロード・ブルース・バンドがアルバム『Blues Power』でバーボン・レーベルからデビュー
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