しおばら つねお塩原 恒夫
プロフィール
愛称ポエマー
出身地 日本 福島県会津若松市
生年月日 (1963-06-12) 1963年6月12日(58歳)
血液型AB型
最終学歴福島県立会津高等学校
埼玉大学
勤務局フジテレビ → BSフジ
職歴アナウンス室スポーツ統括担当部長
BSフジ広報局専任局次長
BSフジ編成局広報担当局長
活動期間1987年?
ジャンルスポーツ
出演番組・活動
出演中『BSフジLIVE プロ野球』
出演経歴『スポーツ中継』
『シネマホリック』
『FNNスーパータイム』
『ニュースJAPAN』(リポート)など
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
塩原 恒夫(しおばら つねお、1963年6月12日 - )は、福島県会津若松市出身の元フジテレビアナウンサー。目次 実家は酒屋である。趣味は映画鑑賞で年間100本以上は鑑賞するといい、この趣味が日本映画専門チャンネルの番組出演時などに活かされている。 福島県立会津高等学校を経て埼玉大学卒業後、1987年、フジテレビに入社。1999年には第15回FNSアナウンス大賞の大賞を受賞している。 入社時からスポーツ番組に携わっており、フィギュアスケート世界選手権の女子シングルやオリンピックなどの大きな国際大会では前述の女子シングルとともにペアの実況も担当している。 2014年2月のソチオリンピックではジャパンコンソーシアムの一員として主にフィギュアスケートを実況しており、フィギュアスケート男子シングル・フリーで羽生結弦が同種目としては日本人初となる金メダルを獲得した瞬間を伝えた。 2017年7月1日付で兄弟会社のBSフジに出向[1]し、広報局専任局次長となり、2018年4月30日付でBSフジ編成局広報担当局長に昇格。特別番組の司会やナレーションなど、同局で引き続きアナウンス業務を行っている。 長年競馬中継を担当しており、2005年には念願の日本ダービーを初実況。以降、2012年まで8年連続で実況を担当した(2013年から2017年までは青嶋達也、2018年以降は福原直英に譲っている)。 2007年の日本ダービーではウオッカが優勝し、64年ぶりとなる牝馬のダービー制覇の瞬間を伝えた。 その一方で有馬記念の実況は同時期に行われている全日本フィギュアスケート選手権(女子)の実況を2013年まで担当していた関係で実現していなかったが[2]、2014年の第59回[3]から2016年の第61回まで実況を担当した[4]。 1998年11月1日に東京競馬場で開催された第118回天皇賞(秋)を担当した際、サイレンススズカの故障事故が発生。この時の観客席の雰囲気を表現した「沈黙の日曜日」というフレーズは、現在でも同レースを形容する言葉として用いられている[5]。 1993年からF1中継を担当しており、2002年からは日本グランプリの実況をCS放送も含めて担当している。スタートの際にシグナル点灯の様子などは実況せず、口上とレース名を述べるスタイルが特徴。 翌年からの担当が決定した際に研修で訪れた1992年イタリアグランプリのウォームアップ走行中に行った実況のテストでは、「カーナンバー」を「ゼッケン」、人物が映し出されると「彼はウィリアムズのテクニカルディレクター、パトリック・ウッド!」などと口走り、教育係の三宅正治に正される様子がみられたほか、青っぽいマシン(ジョーダン、マーチ、ミナルディなど)を見ると何でも「リジェ!」と実況してしまいディレクターの松野博文から「おめえリジェすきだなぁ」と揶揄されていた。
1 来歴・人物
2 競馬実況
2.1 競馬GI競走実況歴
3 F1実況
4 担当番組
5 同期アナ
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
来歴・人物
競馬実況
競馬GI競走実況歴
日本
フェブラリーステークス - 1997年?1999年
皐月賞 - 2000年?2005年
優駿牝馬 - 1996年?2003年
東京優駿 - 2005年?2012年
安田記念 - 1992年、1994年?1995年、2004年
スプリンターズステークス - 1992年、1994年
天皇賞・秋 - 1995年、1998年?2005年、2015年[6]
ジャパンカップ - 2002年?2003年、2006年?2012年
朝日杯フューチュリティステークス - 1991年、1993年、1995年?1996年、1998年?1999年、2004年
有馬記念 - 2014年?2016年
海外
凱旋門賞 - 2014年[7]?2015年
F1実況
担当番組
FNSの日・FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(第1回の提供読みを担当)
FNNスーパータイム(リポーター)
プロ野球ニュース
オレたちひょうきん族(ひょうきんアナウンサーのピンチヒッターとしてまれに出演)
森田一義アワー 笑っていいとも!「テレフォンショッキング」(1988年頃 - 1992年頃→休業→2010年12月9日から単発として復帰、テレフォンアナ担当)
感動ファクトリー・すぽると!
あしたのG(初代ナビゲーター)
ニュースJAPAN(リポーター)
トリビアの泉 ?素晴らしきムダ知識?(「トリビアの種」で実況がある場合の担当)
超潜入!リアルスコープハイパー (実況解説のみ)
フジアナスタジオ まる生(不定期出演)
Size:75 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef