塚田正義
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塚田 正義2014年8月14日 福岡ヤフオク!ドームにて
基本情報
国籍 日本
出身地茨城県古河市
生年月日 (1989-07-23) 1989年7月23日(34歳)
身長
体重177 cm
83 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手一塁手三塁手遊撃手
プロ入り2011年 ドラフト3位
初出場2014年8月1日
最終出場2019年7月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


茨城県立古河第一高等学校

白?大学

福岡ソフトバンクホークス (2012 - 2019)

派遣歴


ヒガンテス・デ・カロリーナ (2014)

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塚田 正義(つかだ まさよし、1989年7月23日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投右打。
経歴
プロ入り前

小学校2年時に地元の少年団で軟式野球を始めると、古河市立総和中学校を経て茨城県立古河第一高等学校へ進学。高校では、2年時の秋から主将を務めると、3年時の夏には「1番・遊撃手」として選手権茨城大会へ出場した。しかし、在学中は甲子園球場での全国大会と無縁で、卒業後に白?大学へ入学した。

白?大学では、1年時から主力選手として関甲新学生野球のリーグ戦で活躍。1年時の秋に打点王、4番打者を任された2年時の秋に打点王と首位打者[1]、4年時には春秋連続で盗塁王のタイトルを獲得したほか、三塁手で1回、遊撃手で3回ベストナインに選ばれた。在学中には、通算18本塁打のリーグ記録を樹立した[2]ほか、通算で打率.352、73打点を記録。2年時と3年時には、チームの春季リーグ優勝と全日本大学野球選手権大会出場も経験した。

2011年のNPBドラフト会議で、内野手として福岡ソフトバンクホークスから3巡目で指名[3]。契約金5,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した[4]背番号は32。
プロ入り後

2012年、春季キャンプを一軍相当のA組で過ごす[5]と、オープン戦にも出場したが、レギュラーシーズン中は二軍生活に終始。ウエスタン・リーグの公式戦には、前半だけで45試合に出場すると、打率.218、4本塁打、11打点を記録した。フレッシュオールスターゲームへの出場が内定していたが[6]、ウエスタン・リーグの広島東洋カープ戦を控えていた6月1日に、試合前のスライディング練習で負傷。後の診察で右膝関節の前十字靱帯不全断裂と外側半月板損傷が判明したため、7月11日に右膝関節の前十字靱帯再建術を受けて[7]からは、リハビリに専念した。

2013年、前年に手術を受けた右膝のリハビリを経て、ウエスタン・リーグの開幕2戦目であった3月23日の対広島戦に代打で実戦へ復帰。シーズン全体では62試合の出場で、打率.267、5本塁打、24打点を記録したが、一軍公式戦への出場機会はなかった。

2014年、ウエスタン・リーグ公式戦98試合に出場すると、リーグの最終規定打席へ初めて到達。70打点で打点王、出塁率.402で最高出塁率のタイトルを獲得したほか、打率.313、15本塁打(いずれもリーグ2位)といった好成績で、二軍のリーグ優勝に貢献した[8]8月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)8回表に、細川亨代打として一軍公式戦にデビュー。8月9日福岡ヤフオク!ドームで催された同カードで、延長10回裏1死1・3塁の局面から城所龍磨の代打に起用されると、宮西尚生からの犠飛で初打点を記録するとともに、チームをサヨナラ勝利へ導いた。一軍公式戦には通算で4試合に出場したが、すべて代打での起用だった。なお、シーズン終了後にはプエルトリコウィンターリーグに参加。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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