塚田正熙
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つかだ まさひろ
塚田 正熙
別名義塚田修、峰沢脩
生年月日 (1935-03-30)
1935年3月30日
没年月日 (2000-12-07) 2000年12月7日(65歳没)
出生地静岡県三島市
死没地埼玉県和光市
国籍 日本
職業テレビドラマ監督、脚本家
ジャンル特撮テレビ番組
主な作品
仮面ライダー』『イナズマンF
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塚田 正熙(つかだ まさひろ、1935年3月30日 - 2000年12月7日[1][注釈 1])は、日本のテレビドラマ監督脚本家。別名義:塚田修[3][1]、峰沢脩[4]静岡県三島市出身[1][2]
略歴

1935年、静岡県三島市の小児科医の四男として誕生した[1][2]。親族にも医師の多い名士の一族であったとされる[1]

1959年に東映へ入社し、東映京都撮影所製作部技術課撮影係に配属され、時代劇撮影助手を務めた[1][2]

1964年、東映の年功序列の昇進システムへの反発や東映ニューフェイスの女優と結婚したことなどから東映を退社し、東映京都でテレビドラマの契約助監督に転身した[1][2]。1965年には東映東京撮影所の契約助監督となり、テレビドラマ『江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』などに参加した[1][2]

1971年に東映生田スタジオ所長内田有作の誘いにより『仮面ライダー』へ助監督として参加[1][2]。同作品で脚本執筆やCM演出を経た後、第46話「対決!! 雪山怪人ベアーコンガー」にて監督としてデビューした[1][2]。以後、『仮面ライダーストロンガー』(1975年)まで仮面ライダーシリーズや東映生田スタジオ作品に携わった[1][2]

1975年に東星電影有限公司と契約し、香港台湾の合作映画を手掛けた[1][2]。日本へ帰国後は、バラエティ番組のディレクターなどを務めた[1][2]

1992年に映像・イベント企画会社クリエイティブEを設立[1][2]。1993年には長男とともに日中交易を手掛けるJCトレーディングを設立した[1][2]

1998年に大腸癌の摘出手術を受けるが転移し、2000年12月7日に埼玉県和光市内の病院で死去した[1]
人物・エピソード

人物像について、塚田の長男は「独りが好きで、いつも個人の世界に入り込んでいた」と述べている
[1]。生田スタジオ時代の関係者は「穏やか[注釈 2]」「物静か[注釈 3]」「温厚な紳士[注釈 4]」などと評している。

ギターの弾き語りを特技とし、『イナズマンF』第18話や第22話の劇中曲を手掛けた[6]

ゲストヒロインが印象的な回を担当することが多く、ライターの赤星政尚は「ゲスト女優に対する子供番組の範疇を超えた執着」と評している[7]

『仮面ライダー』関連


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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