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つかもと のぶお
塚本 信夫
本名塚本 信夫
生年月日 (1933-05-07) 1933年5月7日
没年月日 (1996-10-01) 1996年10月1日(63歳没)
出生地 日本・東京府
身長170 cm
職業俳優
ジャンルテレビドラマ・映画・演劇
活動期間1958年 - 1996年
主な作品
テレビドラマ
『ケンちゃんトコちゃん』
『帰ってきたウルトラマン』
『仮面ライダー (スカイライダー) 』
『仮面ライダースーパー1』
『家なき子2』
映画
『さらばモスクワ愚連隊』
『遊びの時間は終らない』
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塚本 信夫(つかもと のぶお、1933年5月7日[1] - 1996年10月1日)は、日本の俳優。本名は同じ[2]。身長170cm、体重73kg。東京府出身[注釈 1]。成城学園高等学校卒業[3][1]。 俳優座養成所の第4期生[4][1](同期には中谷一郎、仲代達矢、佐藤慶、佐藤允、宇津井健らがいる)。 養成所を卒業後、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)に入団[3][1]、劇団の中心メンバーとして活躍。1965年1月の時点では劇団の代表を務めていた[5]。1980年代初頭に一度劇団を離れるが、1988年の岸田國士作品連続公演より客演として劇団に復帰する。1993年には東京演劇アンサンブルによるチェーホフの『かもめ』のロシア公演にて、ドールン役でモスクワ芸術座の舞台に立った。 「ウルトラシリーズ」や「仮面ライダーシリーズ」では、いずれも小林昭二の後継者的な役柄でレギュラー出演している[6](『仮面ライダー (スカイライダー)』『仮面ライダースーパー1』での谷源次郎役での起用は、小林の推薦によるものである[6][7]。塚本自身は起用の理由は知らされておらず、後に小林の推薦を知ったという[6])。『帰ってきたウルトラマン』では第22話を最後に途中降板している(後任は根上淳)。降板理由は舞台出演・放送回数が延びたため、などの憶測が飛び交ったものの、いずれもその理由ではないことが後の番組出演者の対談記事によって判明したが、真相は語られていない[8]。 1996年10月1日15時04分、広渡常敏演出による東京演劇アンサンブルで上演予定のベケットの『芝居』の稽古中に倒れ、脳内出血のため死去した。63歳没。小林昭二の訃報からわずか35日後だった。
来歴・人物
出演作品
テレビドラマ
夫婦百景 第8話「学生夫婦」(1958年、KTV)
青空通り(1959年 - 1960年、CX)
松本清張シリーズ・黒の組曲(NHK)
第26話「濁った陽」(1962年)
第39話「凶器」(1963年)
連続テレビ小説(NHK総合)
あかつき(1963年)
澪つくし(1985年) - 谷川部長(衛生部) 役
はね駒(1986年) - 浜田義久 役
二人の星(1965年 - 1966年、TBS) - 森金
若者たち(1966年、CX)
ウルトラシリーズ(TBS / 円谷プロ)
ウルトラQ 第10話「地底超特急西へ」(1966年) - 相川教授
帰ってきたウルトラマン 第1話「怪獣総進撃」 - 第22話「この怪獣は俺が殺る」(1971年) - 加藤勝一郎隊長
三匹の侍(CX)
第4シリーズ
第1話「吠えろ剣」(1966年) - 丑松
第24話「一匹狼」(1967年) - 工藤
第6シリーズ 第16話「死にたい女」(1969年) - 役人
日高川(1967年、TBS) - 多聞
男はつらいよ(1969年、CX) - 岡村亀雄
無用ノ介 第19話「明日に生きる無用ノ介」(1969年、NTV / 国際放映)
サインはV(1969年、TBS / 東宝)
ケンちゃんトコちゃん(1970年 - 1971年、TBS / 国際放映) - 平山太郎
妻ふたたび(1972年、TBS)
荒野の素浪人 第36話「策謀 魔の凶悪犯護送」(1972年、NET / 三船プロ) - 井川甚三郎
ポーラテレビ小説 / 吉井川(1972年 - 1973年、TBS) - 石黒清吾