塚口駅_(JR西日本)
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塚口駅
東出口(左はビエラ塚口)
つかぐち
Tsukaguchi

◄JR-G49 尼崎 (2.5 km) (1.4 km) 猪名寺 JR-G51►
左は阪急塚口駅
所在地兵庫県尼崎市東塚口町一丁目9番1号[1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度45分3.51秒 東経135度25分29.72秒 / 北緯34.7509750度 東経135.4249222度 / 34.7509750; 135.4249222 (塚口駅)座標: 北緯34度45分3.51秒 東経135度25分29.72秒 / 北緯34.7509750度 東経135.4249222度 / 34.7509750; 135.4249222 (塚口駅)
駅番号JR-G50
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線G 福知山線(JR宝塚線)
キロ程2.5 km(尼崎起点)
大阪から10.2 km
電報略号ツカ
駅構造地上駅橋上駅[1]
ホーム2面3線[1]
乗車人員
-統計年度-10,199人/日(降車客含まず)
-2020年-
開業年月日1894年明治27年)3月6日[1]
乗換塚口駅阪急神戸本線伊丹線
備考直営駅[1]
みどりの窓口
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塚口駅
つかぐち
Tsukaguchi

(2.5 km) 尼崎臨時乗降場
所在地兵庫県尼崎市東塚口町一丁目9-1
所属事業者日本国有鉄道
所属路線福知山線(尼崎港線)
キロ程0.0 km(塚口起点)
電報略号ツカ
駅構造地上駅
開業年月日1894年明治27年)3月6日
廃止年月日1984年昭和59年)2月1日[2]
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西出口(2007年5月)

塚口駅(つかぐちえき)は、兵庫県尼崎市東塚口町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線である[1]。駅番号はJR-G50。

アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。かつては、福知山線の支線に当たる尼崎港線の起点でもあった[1]。地元や沿線の住民では、阪急塚口駅と駅名が混同しないように、「J塚」という愛称で親しまれている。
歴史

当駅が所属する福知山線は、長年にわたって単線非電化という低規格の路線であったため、ターミナル駅である大阪駅からさほど離れていない[注釈 1]割りに利便性は劣っていた。改札も列車別改札で行われていた。1980年頃にもなると、当駅のすぐ北側で交差する阪急神戸本線を最新鋭の6000系電車が満員の通勤客を乗せて時速100キロで通過する近くで、当駅からDD51形ディーゼル機関車に牽引された43系客車普通列車が発車する対照的な光景が見られた。

しかし1981年の複線電化を機に、橋上駅舎が整備され、ようやく大都市近郊駅としての機能を果たすようになった。

1984年までは、尼崎港駅へ至る支線(通称・尼崎港線)が当駅 - 尼崎駅間で分岐していた[1]。開業当時はそれが本線とされ、尼崎港方面へ向かう線路が直線的に敷設(現在でも路盤の跡が残っている)され、さらに大阪方面行き上り線が、少し西に振れて敷設されていたのに対し、現在の本線は、元の下り線を複線化し、一旦西にそれて大きく回り込むような線形となっている[注釈 2]。この迂回ルート上にあるカーブで、2005年4月25日脱線事故が発生した[注釈 3]

東海道本線東京駅 - 大阪駅間で運転されていた長距離客車特急『つばめ』や『はと』は、大阪駅に到着した後に当駅まで回送された上、当駅で機関車を編成の後端に付け替えた後、宮原操車場[注釈 4]へ入り方向転換を行っていた。これは各列車の最後尾に展望車があり、展望車側を最後尾にする必要があったためである。こういった運用に対応すべく、1956年11月のダイヤ改正を機に尼崎駅 - 当駅間は早々に電化された。その後も1978年10月のダイヤ改正まで、宮原操車場への回送の際の時間調整のため、大阪駅から一部の特急が当駅まで回送されて運行まで待機していた。同改正をもって電気運転は一旦廃止されたものの、電化設備はそのまま残され、1981年の線内電化の際に再利用された[注釈 5]

また、かつては貨物取扱を実施しており、駅東側の現在の留置線のあたりに貨物取り扱い線と貨物ホームが設けられ、近隣の森永製菓三菱電機の工場からの貨物を主に取り扱っていた。駅北側には三菱電機への引き込み線があり、蓄電池式の機関車が入れ替えを行っていた。また引き込み線横の側線には、1980年代半ばまで、廃車となっていた国鉄シキ400形貨車が長らく留置されていた。貨物取扱量は多く、駅の北側と南側の両方には信号所が設置されていた。

阪神・淡路大震災が発生した折には、発生翌日から東海道本線の尼崎駅 - 甲子園口駅間が復旧するまでの数日間のみ、大阪方面からの列車の一部が当駅で折り返していた。
年表

1891年明治24年)

9月6日川辺馬車鉄道の長洲駅(現存せず) - 塚口駅 - 伊丹南口駅(現存せず) - 伊丹駅間開業時に設置[2]。旅客のみ[3]。当時、所在地は川辺郡園田村の村域内だった。

11月15日:貨物の取り扱いを開始[3]


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