堺県
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堺県(さかいけん)は、明治元年(1868年)に和泉国(現・大阪府南西部)の旧幕府領旗本領を管轄するために設置された。のちに和泉国、河内国(現・大阪府東部)、大和国(現・奈良県)のそれぞれ全域を管轄した。
概要 後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における堺県。なお1876年-1881年(明治9年-14年)の間、奈良県を編入している(本文参照)。明治3年12月(1871年1月)以後、県庁がおかれた本願寺堺別院右側は大久保利通、左側が堺県知事時代の税所篤と思われる。大久保の日記(明治四年五月六日条)に「今日税所子同行写真所等江参」とある。

鳥羽・伏見の戦い後の明治元年1月10日(1868年2月3日)に征討大将軍仁和寺宮嘉彰親王大坂城へ入城すると、明治新政府によって1月22日2月12日)に大阪鎮台が発足し、1月27日2月20日)に大阪裁判所へ改称。では、堺奉行所跡に大阪裁判所の出張所が設置され、閏4月に堺役所へ改称された。5月2日6月21日)に大阪裁判所が大阪府へ改称されたが、同時に管轄範囲が広大化した。このことを受けて、6月8日7月27日)に堺役所が和泉国の旧幕府領を管轄するようになり、6月22日8月10日)に大阪府から堺役所を分割して堺県が発足した。

堺役所がそのまま堺県庁となり、堺役所判事だった小河一敏が初代堺県知事となった。小河は上からの「仁政」すなわち民に情け深い政治をすべきだとの強い儒教思想の持ち主で、独自の県治方針を抱いていた。大雨で氾濫する大和川治水工事を、官費では間に合わないので、自分や幹部の年俸を拠出して積極的に進めた。また、県札を発行して経済流通の活性化を図ったり、全国の小学校開設に先立って郷学校を再興し、県学として近代教育のスタートを切るなど、中央の統制を越えて積極的な地方行政を押し進めようとした。このため明治政府と対立し、明治3年(1870年)に早々と免官になってしまう。

第2代知事には税所篤が就任し、明治4年(1871年)に堺県令となった。明治9年(1876年)の第2次府県統合により奈良県を編入。県師範学校医学校病院・女紅場(女学校)・堺版教科書の発行など教育行政や、堺灯台の建造など港湾改修、紡績所・レンガ工場の建設、堺博覧会など商工業振興のほか、浜寺公園大浜公園奈良公園の開設など、先進的に県政が進んだ。

しかし、明治14年(1881年)に堺県は大阪府へ編入されて廃止となった。これは、廃藩置県後の県の整理の一環とも見られるが、全国的に見ればその作業は完了しており、逆に大きすぎる県の分割の方に問題が移りつつあった中での合併であった(現実に堺県の合併以後、北海道の再編や東京都制の施行、第二次世界大戦後のアメリカ軍軍政施行によって一時廃止された沖縄県以外に府県が廃止された例はない)。そのため、府域が極めて狭い上、銀目廃止令による両替商の相次ぐ倒産や大名貸不良債権化による経済の地盤沈下に直面していた大阪府を、「府」にふさわしい規模にするために行われたと考えられている。

大阪府編入後に堺県が再設置されることはなかったが、大阪府編入直後から奈良県再設置運動が開始され、明治20年(1887年)に奈良県(第2次)が再設置された。奈良県(第2次)の初代県知事には堺県令だった税所篤が就任している。
沿革

明治元年(1868年 - 1869年

6月22日(1868年8月10日) - 大阪府から堺役所を分割して堺県が発足。発足当時の管轄地域は旧堺役所支配地であり、堺市街地一円と和泉国内4郡の郡村からなる。

7月23日(1868年9月9日) - 達により和泉国日根郡南郡内の京都守護職役知を編入。

10月24日(1868年12月7日) - 大阪府との境界を大和川に定める。これにより摂津国住吉郡の大和川以南の土地を堺県の所轄とする太政官達が出されるが、実際に編入されるのは明治4年9月30日(1871年11月12日)のことである。


明治2年(1869年 - 1870年

3月4日(1868年4月15日) - 明治2年2月12日(1868年3月24日)の太政官達により、和泉国大鳥郡和泉郡内の関宿藩領を編入。

8月2日(1869年9月7日) - 河内県廃止に伴い、民部省達により旧河内県の河内国16郡内の郡村が堺県管轄となる。引受が完了するのは8月27日(1869年10月2日)。

8月 - 民部省達により紀伊国伊都郡那賀郡内の高野山領、和泉国内の一橋徳川家領、田安徳川家領を編入。ただし旧高野山領は明治3年2月27日(1870年3月28日)に五條県へ移管となる。

12月26日(1870年1月27日) - 廃藩となった狭山藩を編入。



明治3年(1870年 - 1871年

2月 - 和泉国内の土浦藩領、旧幕府領(岸和田藩預地)、河内国内の高徳藩領、旧幕府領(宇都宮藩預地、高槻藩預地)などを編入。

2月27日(1870年3月28日) - 旧高野山領および錦部郡石川郡の一部を新設の五條県に編入。



明治4年(1871年 - 1872年

9月30日(1871年11月12日) - 摂津国住吉郡のうち大和川以南を和泉国大鳥郡に編入。

11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、堺県、伯太県岸和田県吉見県丹南県が統合され、改めて堺県が発足。「堺県」が正式名称として確定。県庁を本願寺堺別院(堺北御坊)へ移転。



明治6年(1873年) - 日本初の公立公園となる浜寺公園が開園。

明治7年(1874年1月22日 - 大区小区制を施行し、和泉国第1 - 3大区、河内国第1 - 3大区に区割。

明治9年(1876年

4月18日 - 第2次府県統合により、奈良県を編入。

10月24日 - 大和国第1 - 5大区に区割。


明治13年(1880年4月15日 - 郡区町村制を施行し、堺区役所、湊郡役所(大鳥郡和泉郡)、岸和田郡役所(南郡日根郡)、古市郡役所(石川郡錦部郡八上郡古市郡安宿部郡丹南郡志紀郡)、八尾郡役所(丹北郡高安郡渋川郡大県郡若江郡河内郡)、枚方郡役所(茨田郡交野郡讃良郡)、奈良郡役所(添上郡添下郡山辺郡広瀬郡平群郡)、三輪郡役所(十市郡式上郡式下郡宇陀郡)、御所郡役所(高市郡葛上郡葛下郡忍海郡)、五條郡役所(宇智郡吉野郡)を設置。


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