脚本家の「酒井雅秋」とは別人です。
さかい まさあき
堺 正章
2009年4月20日(月曜日)、伊賀の国大山田温泉にて
本名.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}栗原(くりはら) 正章(まさあき)
別名義マチャアキ
堺先生
巨匠
Mr.かくし芸
生年月日 (1946-08-06) 1946年8月6日(77歳)
出生地 日本・東京都世田谷区
国籍 日本
身長157 cm[1]
血液型A型
職業タレント
コメディアン
俳優
ミュージシャン
司会者
ジャンルテレビ番組
映画
活動期間1952年 -
配偶者一般女性A
(1974年 - 1980年)
岡田美里
(1989年 - 2001年)
一般女性B
(2011年 - )
著名な家族堺駿二(父)
栗原菊乃(長女)
堺小春(次女)
鏡味繁二郎(従兄弟)
事務所エスダッシュ
主な作品
テレビドラマ
『マチャアキ・幸代のふたりは夫婦
受賞
日本映画テレビ製作者協会 新人賞
1970年:ゴールデン・アロー賞 特別賞
日本放送作家協会賞 演技者賞
1982年:ベストドレッサー賞
1996年:芸術選奨新人賞(『おしゃべり伝六 一番手柄』)
第17回日本映画批評家大賞 審査員特別賞(『夕凪の街 桜の国』)
2013年:第6回したまちコメディ映画祭in台東 コメディ栄誉賞
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堺 正章(さかい まさあき、1946年(昭和21年)8月6日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、司会者、ラジオパーソナリティー。本名、栗原 正章(くりはら まさあき)[2]。愛称は「マチャアキ」「堺先生(しゃかい しぇんしぇい)」「巨匠」「Mr.かくし芸」。
エンターテイナー、タレント、歌手など様々な肩書きを持つが、1990年代以降はテレビ番組の司会を中心に活動している。ホリプロを経て、ケイダッシュ・田辺エージェンシー傘下の個人芸能事務所エスダッシュに所属。身長166cm(1972年3月)[2]。
来歴
生い立ちザ・スパイダース在籍時の堺正章(前列左端)
1946年6月6日、堺駿二の次男として東京都世田谷区で生まれる。父の駿二による出生届の提出が2か月遅れ、戸籍上は8月6日生まれである[3]。
5歳の時、父に連れられて撮影所に行ったことをきっかけに子役として映画に出演し、芸能界にデビューする[3]。
幼少期を鎌倉市の大豪邸でも過ごしていた。 神奈川県鎌倉市にある鎌倉学園在学中で16歳だった1962年、田辺昭知率いる音楽バンド「ザ・スパイダース」に加入し、その後加入した井上順とともにボーカルを担当。「夕陽が泣いている」などがヒットした。鎌倉学園出身の後輩に桑田佳祐がいる。 1970年のスパイダース解散後は、ソロで歌手活動を展開したほか、俳優、司会、コメディアンと多方面で活動している。 1970年にスタートした『時間ですよ』に第3シリーズの1973年まで出演し、番組人気と相まって、悠木千帆らとともに俳優としての出世作となった。 1978年から1980年にかけて『西遊記』、『西遊記II』で主役の孫悟空を務め、子どもを中心に大きな人気を集めた。1976年から『新春かくし芸大会』に出演し、毎年玄人はだしの個人芸を習得・披露してエンターテイナーぶりを発揮した。 1969年から1981年までは歌番組「紅白歌のベストテン」、1981年から1986年までは「ザ・トップテン」の司会も務めた。1999年には、かまやつひろし、井上堯之とユニット「ソン・フィルトル」を一時結成し、CDをリリースした。ライブ活動を皮切りに、12月31日にオリジナル曲「Yei Yei」を引っ提げて『第50回NHK紅白歌合戦』に出場した。 2006年の『西遊記』最終回に釈迦役でゲスト出演し、如意棒を手に往年の演武を披露した。
ザ・スパイダース
1970年代-1990年代
2000年代-
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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