堺市学童集団下痢症
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堺市学童集団下痢症慰霊碑「永遠に」(2022年5月)
疾病出血性大腸炎
細菌株腸管出血性大腸菌O157
場所 日本大阪府堺市
出現した日付1996年平成8年)7月12日
確定症例数9,523人
死者数4人(児童3人+19年後に後遺症で死亡した女性1人)
感染地域 日本大阪府堺市

堺市学童集団下痢症(さかいしがくどうしゅうだんげりしょう)[注 1]は、1996年平成8年)7月に、大阪府堺市学校給食を原因として発生した集団食中毒。児童7,892人を含む9,523人が腸管出血性大腸菌O157に感染し、3人の児童が死亡[2]。併発した溶血性尿毒症症候群(HUS)による後遺症が残った児童も多数に及び、発生から19年後の2015年(平成27年)10月には、当時小学1年生でHUSを発症した女性が、後遺症により死亡している[3]

感染源や経路は、現在も判明していない。厚生省は発生後の8月から9月にかけての調査報告で、給食に使用されたカイワレダイコンが感染原因となった可能性を指摘したが、その後も原因食材は特定されず、カイワレ業者が根拠のない発表による被害を訴えた2件の国家賠償請求訴訟では、2004年(平成16年)12月14日に国の敗訴が確定した[4]

本件で医療機関を受診した患者は12,680名、有症状者は14,153名、検便菌陽性者は2,764名にのぼり、堺市学校給食での罹患が確実であると判断された患者は9,523名[注 2]に達した[5]。腸管出血性大腸菌O157による集団感染としては、世界的に見ても未曾有の規模のものであった[6][7]

堺市では、多数の児童の発症が確認された7月12日を「O157 堺市学童集団下痢症を忘れない日」に制定している[8]。一連の出来事は堺O157禍などとも呼称される[9][10][11][8][12]
前史
O157の発見腸管出血性大腸菌O157:H7

腸管出血性大腸菌O157は、1982年昭和57年)2月から3月にかけてアメリカ合衆国オレゴン州で、同年5月から6月にかけてミシガン州で、同一系列店のハンバーガーを原因として発生した集団食中毒が最初に確認された感染事例で、患者の便とハンバーガーに使用された牛挽き肉から検出され、出血性大腸炎を特徴とするヒトの病原菌と認識された[13]。前者は患者26名、後者は患者21名を出す騒ぎとなり[13]、これをきっかけにその後、アメリカ、カナダイギリスヨーロッパアジアオーストラリアなどでも症例報告が相次いだ[14]

この大腸菌は表面の細胞壁由来のO抗原と鞭毛由来のH抗原により数百種類に分類されており、本記事で取り扱う集団下痢症の原因である「腸管出血性大腸菌O157:H7」は、157番目に発見されたO抗原と7番目に発見されたH抗原を持つ大腸菌を指している[13]

O157にはベロ毒素を発生させる性質があり、これが腸管に吸収されると微小血管に血管炎を起こして血栓を形成し、溶血性尿毒症症候群(HUS)などの、様々な合併症を引き起こすこともわかった。しかし、この合併症の予防法や確実な治療法は存在しないため、医療体制の整った国でも死亡例が出る下痢症として注目された[14]

アメリカでの集団発生を契機に、1985年(昭和60年)1月時点で保管されていた患者の検体を再確認したところ、日本では1984年(昭和59年)8月に採取した検体から検出された腸管出血性大腸菌O157がもっとも古いものであったとされている[15][16]1990年(平成2年)10月には、埼玉県浦和市(現・さいたま市)のしらさぎ幼稚園で、飲料水を原因としてO157による下痢症が発生し、有症者319名[注 3]、死者2名を出した[15]。埼玉県の事例を含め、1990年(平成2年)10月から1994年(平成6年)9月までに腸管出血性大腸菌による集団下痢症は10件が報告され、のべ患者数は1,275名、死者3名にのぼった[15]
1996年の大発生

1996年平成8年)は、日本全国で腸管出血性大腸菌O157による食中毒(感染症)が猛威を振るった年であった[18]。まず5月28日、岡山県邑久郡邑久町(現・瀬戸内市邑久地域)の岡山県邑久町保健所に、小学生を中心に下痢症患者が多発している旨の連絡が入ったのが最初で、最初の患者は搬送された国立岡山病院(現・国立病院機構岡山医療センター)で溶血性尿毒症症候群(HUS)と診断されてのち、29日に便からO157:H7が培養され同定されたことで、腸管出血性大腸菌によってHUSが引き起こされたことが明らかになった。邑久町でのこの集団食中毒は、二次感染者を含めて計416名が発症[注 4]、2名が死亡(6月1・3日に小学1年生の6歳女児がそれぞれ死亡)という大規模なものとなった[20][19]。原因は、共同給食調理場で6回に分けて調理された給食のうち、3回目と4回目の工程で調理された給食を食べた児童に発症者が集中していることから、この工程での調理方法または食材が原因とみられたが[20][注 5]、結局特定することはできなかった[19]

しかしその後も、立て続けに同じ菌による集団食中毒が全国各地で発生した(日付は保健所への報告日)[19]。下記の集団食中毒を含め、1996年度中に全国で9,451名が発症し、うち12名が死亡した[20]


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