堺勝朗
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さかい かつろう
堺 勝朗
本名坂井 勝利 (さかい かつとし)
生年月日 (1930-03-27)
1930年3月27日
没年月日 (2012-12-10) 2012年12月10日(82歳没)
出生地 日本 埼玉県北足立郡川口町
死没地 日本 東京都豊島区西池袋
職業俳優映画監督
ジャンル軽演劇劇場用映画現代劇コメディ映画成人映画
活動期間1951年 - 2012年
所属劇団劇団にんげん座
主な作品
『未亡人下宿』(1969年)
『痴漢電車』(1975年)
『ドキュメント 痴漢常習犯』(1976年)
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堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 2012年12月10日)は、日本の元俳優、元映画監督である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。初期には本名の坂井 勝利(さかい かつとし)[3]で活動した時代もある[6][7][8][9][10]。坂井 勝朗、堺 克郎といった表記も初期にはあった[9]軽演劇独立系成人映画における喜劇俳優として知られる[1][2][3]
人物・来歴
教育映画から軽演劇の時代

1930年(昭和5年)3月27日、埼玉県北足立郡川口町(現在の同県川口市)に生まれる[1][2][7]。堺が3歳を迎えた1933年(昭和8年)4月1日に同地域は川口市になった。幼少時に両親と死別し[3]、『ザ・ロケーション』の津田一郎によれば、堺は「強い姉に育てられた」と述懐したという[2]

第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月、旧制・川口市立川口中学校(1951年県に移管されて埼玉県立川口高等学校)に進学したが、中途退学した[1]。終戦後は、同市での古くからの地場産業である鋳物工場[13]の職工になり、その後、各種の職を転々とした[1]。その傍ら、自由音楽院声楽科、次いで国際綜合芸術院映画科に学ぶ[1]

1951年(昭和26年)4月1日に創立した東映が製作、同年7月27日に公開した『吾子と唄わん』(監督野村浩将)に出演しているという[1]。1956年(昭和31年)3月8日に公開された『警視庁物語 魔の最終列車』(監督小沢茂弘)、1957年(昭和32年)9月23日に公開された『二宮尊徳の少年時代』(監督村山新治)に、本名の坂井 勝利でクレジットされた記録が残っている[6][7][8][9][10]。同年6月に施行された美容師法によって新設された美容師国家試験を、時期は不明であるが受験して美容師資格を取得しているという[1]。1958年(昭和33年)には、新宿フランス座(新宿ミュージックホール、現在跡地に新宿伊勢丹メンズ館)で三波伸介(1930年 - 1982年)が軽演劇の座長になっているが、三波が同座に在籍するのは1960年(昭和35年)までであり[14][15]、堺が三波に師事するのはこのころである[2][3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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