つつみ ゆきひこ
堤 幸彦
第31回東京国際映画祭にて(2018年10月)
本名堤 幸彦
別名義堤 ユキヒコ
生年月日 (1955-11-03) 1955年11月3日(68歳)
出身地 日本 愛知県名古屋市
職業演出家
映画監督
ジャンル実写
活動期間1988年 -
配偶者あり
事務所オフィスクレッシェンド
公式サイト堤幸彦のページ
受賞
報知映画賞
監督賞
第40回『イニシエーション・ラブ』『天空の蜂』
備考
オフィスクレッシェンド取締役
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堤 幸彦(つつみ ゆきひこ、1955年11月3日 - )は、日本の演出家、映画監督。オフィスクレッシェンドの取締役。三重県四日市市[1]生まれ、愛知県名古屋市千種区出身[2][3]。活動初期は、堤ユキヒコ名義を使用した。 1955年三重県四日市市に生まれ、6歳のときに父親の仕事の都合で愛知県名古屋市に引っ越した[4]。名古屋市立田代小学校、名古屋市立城山中学校、私立愛知高等学校と進学し、高校を卒業する18歳まで名古屋で過ごした[4]。高校時代からロックに傾倒し、はっぴいえんどに憧れて上京を希望し、法政大学社会学部社会学科へ進学する。大学在学中は当時の学生運動にも参加したが、3年の頃にそれが終わり、拠りどころを失くした堤は大きな挫折感を味わい、大学を中退する。そのころ、渋谷宮下公園のベンチに座っていたら偶然転がってきた東放学園専門学校の新聞記事をきっかけに同校放送芸術科に入学し[5]、刺激的な教師や友人と出会い放送業界に入る決意をする[6]。 アシスタントディレクター時代は、仕事ができず立っているだけだったので「電信柱」というあだ名をつけられる日々だった[7]。 TBS『EXPOスクランブル』(1985年)で初ディレクターを担当する傍ら、TBSには無断で日本テレビ『コラーッ!とんねるず』(1985年 - 1989年)のディレクターも担当。そのためクレジットでは「ハロルドKITAGAWA」「ローゼンKITAGAWA」「ローゼン堤」などの変名を使用していた。その後は数々のCMやプロモーションビデオの演出を手掛けながら、1986年、秋元康と会社「SOLD OUT」を立ち上げる[6][8]。のちにこの会社からは離れ、株式会社オフィスクレッシェンド所属となる。 劇場映画はオムニバス作品『バカヤロー! 私、怒ってます』(1988年)の第4話「英語がなんだ」がデビュー作。1989年に、アメリカ合衆国・ニューヨークに渡り、1年半滞在する間にオノ・ヨーコの映画(『Homeless』)を撮っている[8]。 堤の名を一躍世間に知らしめたのは、日本テレビで放送されたドラマ『金田一少年の事件簿』(1995年、堂本剛版)。
経歴