堂林翔太
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堂林 翔太広島東洋カープ #7
2019年3月12日 マツダスタジアム
基本情報
国籍 日本
出身地愛知県豊田市
生年月日 (1991-08-17) 1991年8月17日(32歳)
身長
体重183 cm
93 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手一塁手外野手
プロ入り2009年 ドラフト2位
初出場2012年3月30日
年俸6400万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


中京大学附属中京高等学校

広島東洋カープ (2010 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

堂林 翔太(どうばやし しょうた、1991年8月17日 - )は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手内野手外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。

妻は元TBSテレビアナウンサーでフリーアナウンサー枡田絵理奈
経歴
プロ入り前

小学校2年時に愛知県豊田市の「豊田リトル」で野球を始める。

豊田市立崇化館中学校時代は豊田シニア(リトルシニア)に所属し、投手遊撃手だった。宮城県で開催された国際大会で名古屋北シニアの補強選手として出場し、この時、東北選抜との試合で菊池雄星と対戦している。

愛知県名古屋市中京大中京高校に進学すると1年春から投手としてベンチ入り。1年秋から2年夏までは打力を買われて一塁手のレギュラーになる。2年春には選抜大会に出場するも試合出場はなし。2009年8月12日 全国高校選手権大会(阪神甲子園球場)中京大中京 堂林翔太投手

2年夏は愛知大会で敗退。新チームとなった秋からエースで4番を任され、東海大会を全4試合完投するなど安定した投球で優勝しセンバツの切符を手にする。3年春の第81回選抜高等学校野球大会では準々決勝で報徳学園に9回までリードしながら敗れベスト8。打撃では打率.584、4打点を記録した。

3年夏の第91回全国高等学校野球選手権大会で中京大中京は、甲子園史上最多の春夏通算11度目の優勝(春4回・夏7回)を果たした。堂林は同校のエース兼4番打者として投打でチームを牽引し、打率.522、12打点、1大会通算最多タイとなる6二塁打を記録し、優勝に大きく貢献した。当時は多彩なテクニックに加え、強じんな足腰とバネ、冷静なプレイスタイルを持ち、勝利のみを追求していたため、「ベースボールサイボーグ」の異名をとった[2]日本文理高校との決勝では右中間に先制2点本塁打を放つなど、優勝投手兼4番打者として活躍した。しかし、試合終盤に途中で降板して右翼手に回ったことにより、胴上げ投手にはなれなかった。このことについて「最後まで投げたかったんですけど…、ホントすみませんでした。」と、試合終了後の優勝インタビューでは敗戦したかのように、悔し涙を流し声を詰まらせながら謝罪をした。なお、同大会で、堂林とバッテリーを組み優勝バッテリーとなった1学年後輩の磯村嘉孝捕手とは、後に広島東洋カープでもチームメイトとなる。(磯村とは豊田市のシニアからのチームメイトでもある。)高校通算本塁打数は13本。

2009年のプロ野球ドラフト会議では、一塁手三塁手としての育成を視野に入れていた広島東洋カープから、内野手として2巡目で指名。契約金7000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した。なお、ニューヨーク・ヤンキースアレックス・ロドリゲスのような選手になって欲しいという期待[3]から、背番号はロドリゲスと同じ13を着用。広島で背番号13を付けた野手は、1964年ロナルド大森内野手以来である[4]
広島時代2013年7月30日マツダスタジアムにて

2010年は、野手としての経験を積む目的で、二軍生活に終始した。ウエスタン・リーグ公式戦では、100試合の出場で規定打席に到達。打率.203、7本塁打、32打点という成績を残す一方で、三塁手として18失策を記録した。7月22日には、同リーグの監督推薦選手として出場したフレッシュオールスターゲーム長崎ビッグNスタジアム)7回裏の打席で、イースタン・リーグ選抜の林啓介千葉ロッテマリーンズ)から本塁打を放っている[5]

2011年は、前年に続いて、シーズンを二軍で過ごした。ウエスタン・リーグの公式戦には、103試合に出場。打撃面では、打率.208、1本塁打、23打点という成績にとどまった。さらに、三塁手として16失策、遊撃手として10失策を記録した。

2012年は、一軍監督・野村謙二郎からの期待を受けて、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた[6]。3月30日には、地元のナゴヤドームで催された中日ドラゴンズとの開幕戦に、「7番・三塁手」としてスタメンで一軍デビュー。この試合で一軍初安打を記録する[7]と、高校3年夏の選手権決勝以来3年ぶりに甲子園へ登場した4月24日の対阪神タイガース戦で、ランディ・メッセンジャーから一軍初本塁打を放った[8]。7月25日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で石川雅規からバックスクリーンに放ったソロ本塁打によって、シーズン2桁本塁打に到達[9]。広島の高卒3年目に一軍公式戦へ出場した野手では、緋本祥好1956年)・江藤智1991年)・前田智徳1992年)に次ぐ球団記録を、この一打で達成した。結局、シーズン全体では、一軍公式戦でチーム最多の14本塁打を放っている[10]オールスターゲームには、「SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン ドリーム投票」(最後の出場選手を決める投票)での選出によって、広島の野手では史上最年少の20歳で初出場[11]。全3試合の出場で6打席ノーヒットに終わったが、第2戦では「1番・三塁手」としてスタメン出場を果たした。シーズン終了後の11月には、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」で、初めて日本代表に選出[12][13]。11月18日の第2戦(札幌ドーム)では、代打で三塁打を放った[14]。シーズン通算では、一軍公式戦全144試合出場を果たしながら、両リーグワーストの29失策、150三振、得点圏打率.192を記録。


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