堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)は、公家の家格の一つ。御所の清涼殿南廂にある殿上間
(てんじょうのま)に昇殿する資格を世襲した家柄。また、公卿になれる家柄。同時に上級貴族とも呼ばれる。上記以外の中流・下級貴族である地下家(地下人)を除く公家を指す。江戸時代末期には137家があった。詳細は「殿上人」を参照 平安時代中期に昇殿の制が始まり、院政期には公卿となることが出来る家柄が固定されるようになったため、公家の中で昇殿を許される家柄とこれを許されない家柄、公卿になれる家柄となれない家柄に分かれ、前者を堂上家、後者を地下家(じげけ)とする区分が成立した。一般的に、公卿になると昇殿が許されたが、まれに地下の公卿も存在した。 広義では公卿になることができる摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家の総称であるが、狭義では上記のうち摂家・清華家・大臣家を除いた羽林家以下のみを指し、平堂上(平堂上家(ひらとうしょうけ))とも呼ばれた[1]。 南北朝時代以降、堂上家のなかに時の天皇との親疎により内々・外様の区別が生じた。出勤した時の御所内での詰め所も異なり、天皇から受ける処遇も違った。 また、安土桃山時代の天正年間(1573年 - 1591年)までに成立していた64家を旧家、それ以降新規に設立された家を新家と区分している。 明治維新後、1884年(明治17年)7月7日、平堂上のうち、大納言まで宣任の例が多い家[2]が伯爵に、それ以外は子爵に叙せられた(「華族令」)。 堂上家一覧家格家名家系本家門流内々/外様旧家/新家石高家業極官維新後
概要
堂上家一覧』によれば、堂上家は以下の通り。
摂家近衞家[3][4]藤氏
北家摂関流[5]----2,862石有職故実
三藐院流書道[5]摂政・関白公爵
摂家九條家[3]藤氏
北家摂関流----2,044石有職故実
梅宮伝奏[5]摂政・関白公爵
摂家鷹司家[3]藤氏
北家摂関流近衞---1,500石有職故実
阿蘇・鹿島社伝奏[5]摂政・関白公爵
摂家二條家[3]藤氏
北家摂関流九條---1,708石有職故実
歌道[5]摂政・関白公爵
摂家一條家[3][6]藤氏
北家摂関流九條---2,044石有職故実
香取社伝奏[5]摂政・関白公爵
清華三條家[7]藤氏
北家公季(閑院)流--内々旧家469石笛