ほり じゅんこ
堀 絢子
プロフィール
本名堀 絢子[1]
性別女性
出生地 満洲国 奉天省奉天市(現・ 中国・瀋陽市)[2]
出身地 日本・東京都[3]
生年月日 (1942-02-02) 1942年2月2日(82歳)
血液型A型[4]
職業声優、舞台女優
事務所ぷろだくしょんバオバブ[3]
公式サイト ⇒堀 絢子|ぷろだくしょんバオバブ
公称サイズ(時期不明)[5]
身長 / 体重145 cm / 36 kg
声優活動
活動期間1960年代 -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え
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堀 絢子(ほり じゅんこ、1942年2月2日[6] - )は、日本の声優、舞台女優。ぷろだくしょんバオバブ所属[3]。 旧満洲国の奉天市(現・瀋陽市)に生まれる[2]。父は医師で、のちには山口県下関市で開業医を営んでいた[2]。父は1945年6月に徴用を受けて広島市の第5師団で軍医となったが、広島市への原子爆弾投下に遭遇して被爆、三次市に運ばれたのち、妻(堀の母)の到着後に40歳で亡くなった[2]。自身に父の記憶はあまりなく、母が涙とともに話すのを何度も聞いて育ち「生き残された私が何かしなければ」という思いを持ったと述べている[2]。母は広島出身だった[7]。 少女時代に、高橋和枝がラジオ番組で様々な人物の声を演じ分けるのを聞いて役者に憧れる[8]。母親から反対されたため隠れて児童劇団に入り、アルバイトで俳優の勉強に必要な資金を自弁した[8]。進学も医学薬学系でなければ不可という母の意向に対し、理系科目が不得意だったことからこれも学資を自分で貯めて青山学院大学文学部に進学する[8]。 青山学院大学文学部英文科卒業[9]。土の会[10]、劇団どらま座[10]、フリー[11]を経て、ぷろだくしょんバオバブ所属となった[3]。 堀によると、最初の声の仕事はラジオ東京(現・TBSラジオ)の「マチネ劇場」という朗読劇だったという[8]。その後、吹き替えやCMソングなど持ち込まれる仕事を断らずに引き受けたことから「便利な役者」として「かわいがって頂きました」と述べている[8]。 原爆で死亡した父への思いから、山本真理子原作『広島の母たち
経歴
2017年、第11回声優アワード・功労賞を受賞した[12]。 資格は普通自動車免許。特技は三味線、歌唱、琴、茶道(裏)、生け花。趣味は歩くこと、自転車。方言は広島弁[3]。 鼻にかかったような印象的な声質で、数多くの作品の重要な役柄を担当している[13]。 赤ちゃんから老婆役まで幅広くこなしているが、元気な少年役を得意としている[13]。 藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)原作の作品にも数多く出演しており、『新オバケのQ太郎』、『忍者ハットリくん』、『チンプイ』の3作品では、主役を務めた[13]。 演じた役の中で、『ムーミン』のミイは「自己主張がはっきりしていてハツラツとしたかわいらしさがあって、今でも大好き」だと話している[14]。 『快進撃TVうたえモン』・『笑っていいとも!』・『INsideOUT』や、舞台『朝ちゃん』関連(広島県のテレビ局の報道取材)などの女優・タレント活動では顔出し出演をした。『INsideOUT』における顔出しテレビ出演は、戦争特集のため、主役の朝ちゃんが着るセーラー服姿で登場した。 一方、アニメ声優関連の特集は「キャラクターのイメージを壊す」という理由で断っていた。テレビ朝日のバラエティ番組『大胆MAP』でも1回目の交渉ではテレビ出演を拒否し、写真公開のみになった。その後、2回目の交渉で「見てみたい声優第1位」にランクインしタカアンドトシがやってきた際も出演を拒んだが、タカが土下座をしたりするなどの粘り強さに根負けし、顔出し出演することとなった。このとき3人で『忍者ハットリくん』の主題歌を歌い「テレビ初出演」と表記されたが、実際は『朝ちゃん』関連の取材のほか、1994年に『笑っていいとも』にも出演し、ハットリくんとウッドペッカーの声を披露している。その後、2011年11月12日に放送された『お願い!ランキング』の「全声優に聞いたすごい声優」に顔出し出演し、ハットリくんと『ムーミン』のミイの声を披露した。 母方の伯父は東京国立博物館技官・共立女子大学教授・日本美術史家の奥平英雄、叔父に日本弦楽指導者協会理事・広島支部長であったバイオリン教師の奥平弘和、従兄に東京国立博物館技官・早稲田大学教授・日本美術史家の村重寧。 太字はメインキャラクター。
人物
家族
出演
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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