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堀 直定(ほり なおさだ、寛永13年(1636年) - 寛永19年3月22日(1642年4月21日))は、江戸時代前期の大名。越後村上藩の第3代藩主。2代藩主堀直次の長男。母は土井利勝の娘。官位は不明。幼名は千之助。 寛永15年(1638年)7月に父が早世し、その翌年に祖父直寄も江戸にて死去したため、わずか4歳で跡を継ぐこととなった。この時、幕府の実力者である土井利勝の外孫であるという経緯から3万石を加増されたが、その3万石はすべて叔父の直時に分与している。 寛永19年(1642年)3月22日(異説として3月1日)、7歳で死去した[1]。嗣子がいるはずもなく、村上藩堀家は断絶した。
生涯
脚注^ 「(寛永19年)3月6日小出吉英宛(沢庵)宗彭書状」によれば、疱瘡により死去〈引用元は辻善之助編註『沢庵和尚書簡集』、岩波文庫、1942年、223P〉
表
話
編
歴
堀氏村上藩3代藩主 (1638年 - 1642年)
村上家
村上頼勝1598-1604
村上忠勝1604-1618
家中の論争が多いことを理由に改易
堀家
堀直寄1618-1636
堀直次1636-1638
堀直定1638-1642
無嗣断絶
本多家
本多忠義1644-1649
陸奥白河藩に転封
結城松平家
松平直矩1649-1667
豊後日田藩に転封
榊原家
榊原政倫1667-1683
榊原政邦1683-1704
播磨姫路藩に転封
本多家
本多忠孝1704-1709
本多忠良1709-1710
三河刈谷藩に転封
大河内松平家
松平輝貞1710-1717
上野高崎藩に転封
間部家
間部詮房1717-1720
間部詮言1720
越前鯖江藩に転封
内藤家
内藤弌信1720-1725
内藤信輝1725
内藤信興1725-1761
内藤信旭1761-1762
内藤信凭1762-1781
内藤信敦1781-1825
内藤信親1825-1864
内藤信民1864-1868
内藤信美1869-1871
廃藩置県