凡例堀田正衡
堀田正衡像
時代江戸時代後期 - 末期(幕末)
生誕寛政7年(1795年)
死没安政元年10月12日(1854年12月1日)
改名昌六郎(幼名)→正衡
官位従五位下、左京亮、摂津守、従四位下
幕府江戸幕府
藩下野佐野藩主
氏族堀田氏
父母父:堀田正敦
兄弟田村宗顕、正衡、毛利元世
妻正室:照子(堀親?の養女、堀直起の娘)
子正修、土井利祐、北条氏恭、棟姫(石川義光室)、紀子(伊達邦命室)、娘(石川総参
堀田 正衡(ほった まさひら)は、江戸時代後期から末期の大名、若年寄。下野佐野藩主。堀田家正高流分家7代。 下野佐野藩主(当時は近江堅田藩主)堀田正敦の五男。寛政8年(1796年)4月19日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月11日、従五位下・左京亮に叙任。後に摂津守に改める。天保3年(1832年)1月19日、父正敦の死去により家督を継いだ。天保5年(1834年)4月28日、奏者番に就任する。天保7年(1836年)9月4日、若年寄に就任する。天保14年(1843年)10月24日、退任して従四位下に昇進する。安政元年(1854年)に60歳で死去した。長男の正修は既に没していたため、その子・正頌が跡を継いだ。 学問熱心であった。特に貝類の研究に熱心で、『観文介譜』を著している。絵画にも秀でた才能を残すなど文学的に優れていた。正衡の家臣・高橋源十郎 父母 側室
生涯
人物
系譜
堀田正敦(父)
福永氏
日野資訓
関連作品
名奉行 遠山の金さん(1988年 - 1996年、テレビ朝日・東映)シリーズを通して、実際と同じ役職で遠山金四郎(演:松方弘樹)を表裏で支えた。若林豪が正衡[1]を演じた。
脚注^ 本作での諱は正国。ただし、実在の正衡は遠山景元よりも2歳年下であったため、実際は彼の実父である正敦をモデルにしたのではないかとする向きもある。
表
話
編
歴
堀田家佐野藩藩主 (1832年 - 1854年)
佐野家
佐野信吉1600-1613
富田信高の事件に連座し、改易
1613年から1684年まで幕府領
堀田家
堀田正高1684-1698
近江堅田藩に転封
1698年から1826年まで幕府領
堀田家
堀田正敦1826-1832
堀田正衡1832-1854
堀田正頌1854-1871
廃藩置県
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全般
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