堀淳一
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堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年大正15年〉10月6日 - 2017年平成29年〉11月15日[1])は、日本物理学者随筆家北海道大学名誉教授。専門は理論物理学であるが、地図に関するエッセイを多く著した。
経歴

1926年、物理学者の父・堀健夫と母・志づの長男として京都府京都市に生まれる。弟妹が6人いる[2]経済学者関西学院大学学長を務めた堀経夫は伯父、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は母方の叔父にあたる。父の北大着任に伴い、1935年昭和10年)から北海道札幌市に在住。小学校の頃から地図の魅力に魅せられた[3]。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1950年に北海道大学理学部物理学科を卒業。同低温科学研究所、理学部助教授を歴任し、1966年9月より教授となる。専門は理論物理学で、乱れた結晶の物性を理論的に探る研究に取り組んだ[4]。その一方で、1960年代から地形図を手に全国の旧道廃線跡、産業遺跡産業遺産遺構廃墟)などを歩くを開始。1972年に『地図のたのしみ』で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、1974年から地図愛好者の集まり「コンターサークル」を主宰[5]。その頃から能力の限界を感じ「これ以上学生を指導しているふりをするのは詐欺」と考え、また教授としての雑用や「学内政治」に嫌気がさし、1980年10月に定年まで約10年を残し中途退職した[6][2][4]。『ブラタモリ』などに代表される地図散策趣味の先駆者といえる紀行作家であり[7]、晩年まで各地を精力的に歩き続けた。
人物

クラシック音楽を好み「レモンティーとモーツアルトで1日が始まる」というほどで[3]、長く札幌交響楽団友の会の会員であり[3][8]、また本人もピアノを演奏した[3]
受賞

1972年
日本エッセイストクラブ賞 『地図のたのしみ』

著書

『物理数学』第1-2
共立出版 1969

『地図のたのしみ』河出書房新社 1972 のち文庫

『物理数学演習』共立出版 1973

『地図を歩く』河出書房新社 1974 のち文庫

『物理の風景 数理物理学者の見た世界』講談社ブルーバックス) 1974

『地図から旅へ』毎日新聞社 1975 のち講談社文庫

『地図とカメラのヨーロッパ軽鉄道散歩』河出書房新社 1975

『地図はさそう 自然と人と詩と』1976(そしえて文庫)のち河出文庫

『ランジュバン方程式』岩波書店 1977

『旅あの日この日 続・地図を歩く』スキージャーナル 1977

『地図と風土』1978(そしえて選書)

『ヨーロッパ軽鉄道の詩』スキージャーナル 1979 のち旺文社文庫

『エントロピーとは何か 「でたらめ」の効用』講談社(ブルーバックス)1979

『地図は語る 自然と歴史と手づくりの旅』1981(創隆社ジュニアブックス)

『地図のけんきゅう』岩波書店 1982

『地図-「遊び」からの発想』1982(講談社現代新書

『消えた鉄道 レール跡の詩』そしえて(風土と歴史をあるく)1983 「消えた鉄道を歩く」講談社文庫

『地図なんでも入門』(小学館入門百科シリーズ)1984

『ニュージーランドは詩う』そしえて 1984

『オホーツク 春と秋の心象風景』そしえて(風土と歴史をあるく)1984

『ヨーロッパの気ままな旅』1984(旺文社文庫)

『忘れられた道 旧道の静寂・廃道の幽愁』そしえて(風土と歴史をあるく)1984

『地図のイメージ紀行』福武書店 1984

『サッポロこぼれある記 北の街の空のひろがり』そしえて(風土と歴史をあるく)1986

『森と野と古都の旅 西ドイツ地図紀行』1986(旺文社文庫)

『霧のかなたの聖地 アイルランドひとり旅』筑摩書房 1987 「ケルトの島・アイルランド」文庫

『地図・イメージ・その美』古今書院 1987

『北海道地図を紀行する 道南・道央編』北海道新聞社 1988

『れいる残照』そしえて 1989

『地図のイコノロジー』筑摩書房 1989

『北海道地図を紀行する 道東・道北編』北海道新聞社 1989

『地図の科学 よい地図・わるい地図』講談社(ブルーバックス)1990

『北海道鉄道跡を紀行する』北海道新聞社 1991


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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