.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク、ダイヤマーク)が含まれています(詳細)。
ほりえ ゆい
堀江 由衣
プロフィール
愛称ほっちゃん[1][注 2]、ほちゃ[1]、ゆいちゃん[1]、ゆいたん[1]
性別女性
出身地 日本・東京都[2]
生年月日 (1976-09-20) 1976年9月20日(47歳)
血液型B型[2]
身長155 cm[3]
職業声優、歌手
事務所ヴィムス[4]
公式サイト堀江由衣 Official web site
堀江 由衣(ほりえ ゆい、1976年9月20日[6] - )は、日本の女性声優、歌手。ヴィムス[4](事務所)とKING AMUSEMENT CREATIVE[5](レーベル)所属。声優ユニット・Aice5のメンバー。オフィシャルファンクラブ「黒ネコ同盟」副会長。
代表作に『ラブひな』(成瀬川なる)[1]、『To Heart』(マルチ)[1]、『フルーツバスケット』(本田透)[1]、『DOG DAYS』(ミルヒオーレ・F・ビスコッティ)[3][7][8]、『ペルソナ4』(里中千枝)、『とらドラ!』(櫛枝実乃梨)[1][7]、『ゼロの使い魔』(シエスタ)[7]、『リトルバスターズ!』(直枝理樹)[8]、『ミス・モノクローム -The Animation-』(ミス・モノクローム)[8]、『にゃんぼー!』(シロ)[3]、『〈物語〉シリーズ』(羽川翼)[3][7][8]、『魔法つかいプリキュア!』(リコ〈十六夜リコ〉 / キュアマジカル)[3][8]などがある。 インタビューでは小学1年生の時から出会った友人が声優になる決定的なタイミングにも関わっていたと語るが、声優になったきっかけにテレビアニメ『ダーティペア』があり、その友人も一緒に熱中していた。そして堀江はユリ派、その友人はケイ派だったという[9]。この友人は自分にとってかなりの重要人物で、自分のキーパーソンだという[10]。 中高一貫して暗黒時代で、中学校時代はこの友人と一緒にバレーボール部に所属していたが、凄く下手で、当時から体力がなく疲れやすかったため、ハードな部活は苦手で、毎日学校行くのが嫌になった[10][11][12]。結局、ずっと「辞めたい」と思っていたが、3年間続けていたという[12]。高校時代は「もう二度と失敗はしまい」と思い、帰宅部だったが、学校というところにいまいちなじめなかったという[10][11]。一方、放課後は、割合すぐに4時ぐらいで帰宅して、家でボ?ッとして、ドラマ、アニメの再放送を観たり、本を読んでいたりしていた[12]。 1995年に短大1年の頃、声優専門誌『ボイスアニメージュ』創刊号のオーディション参加募集広告を見て、アーツビジョンの特待生新人オーディションを受験。3000人以上の受験者の中から5名の特待生の1人に選抜される[13][14]。その時もその友人と一緒に受けたという[9]。友人が声優雑誌を持ってきてちょっと受けてみようかと言って2人で履歴書を書いたが、こうでもないとオーディションをひとりで受けるタイプではないので、今になって思えばよかったという[10]。こうして、日本ナレーション演技研究所に特待生として入所[9][15]。 1996年、文化放送『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』内で結成を企画された「ドリカンクラブ」の募集が開始された際、応募者3482名から22名に、さらに投票による15名のメンバーに選ばれ[13]、同グループの一員となり、シードで出場権を得たSME・声優オーディションで、ナムコ賞を受賞して[注 3][16]、10月からは文化放送「斉藤一美のとんカツワイド」内に設けられたドリカンクラブのコーナー「とんカツファイト」に、冨永みーな、浅川悠らと共に出演。
経歴