堀江卓
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堀江 卓(ほりえ たく、男性、1925年3月14日 - 2007年2月8日)は、日本漫画家山口県下関市出身[1]。1956年から連載した『つばくろ頭巾』が人気となり、1957年から連載した『矢車剣之助』はテレビドラマ化されて代表作となった[1]。他の代表作には、テレビドラマ化された『天馬天平』や、新東宝で映画化された『ハンマー・キット』などがある。

息子は俳優の堀江信介
来歴

太平洋戦争中は海軍に所属した[1]。終戦後、日立製作所笠戸工場に入り、直営の映画館を任される[1]。支配人を務めながら映画の看板を描く一方、1コマ漫画や4コマ漫画を週刊誌に投稿した[1]

映画のフィルムを借りに来た大阪でテレビを見て映画の時代は終わると感じ、片手間で描いたコマ漫画が採用されるなら本気で描けば漫画家になれると思い、1955年に漫画家を目指して上京した[1]。1週間でダメなら戻ろうと思って最初に飛び込んだ出版社では、6回描き直させられた挙げ句、編集長に居留守を使われた[1]。しかし、その帰り道に飛び込んだ芳文社で「絵は下手だしストーリーもつたない。しかし、変わっている」と言われ、依頼されるようになる[1]

1956年、痛快ブック増刊『剣豪ブック』陽春活劇号(3月1日発行)に「俺は藤吉郎だ」を発表してデビュー[1]。以後、『痛快ブック』(芳文社)に時代物の読み切り短編を掲載していった。

『痛快ブック』1957年2月号に掲載された短編「飛燕一刀流」に登場した“つばくろ頭巾”が人気を得た[2]。当時の『痛快ブック』編集者だった藤本七三夫は「西部劇を日本の時代劇に登場させては」と堀江に提案[3]し、5月号より『つばくろ頭巾』の連載が始まった。白馬に乗って拳銃を放つ侍が主人公であるこの作品は3年間の長期連載[2]となり、初期の代表作となるとともに作者を人気作家の地位に押し上げた[1][2]

また、『少年』(光文社)1957年8月号からは、後に代表作となる『矢車剣之助』の連載を始める[4]大岡越前守配下で、剣と銃の達人である少年剣士・矢車剣之助が、謎の黒覆面「夜の帝王」に扮し活躍するこの作品は、無限の弾数を持つ二丁拳銃による派手なアクションや、敵方の城が巨大戦車になるなどのSF的なからくりが全国の子どもたちを熱狂させ、同誌に連載されていた手塚治虫鉄腕アトム』や横山光輝鉄人28号』と人気を分けた[5]。後に手塚茂夫主演でテレビドラマ化され、こちらもヒットした[5]

以後も頼まれた仕事は断らず[1]、『ハンマー・キット』(『少年』)、『ブルージェット』(『おもしろブック』『少年ブック』)、『少年ハリマオ』(『少年クラブ』)、『天馬天平』(『少年画報』)、『隠密剣士』(『週刊少年マガジン』)、『赤い風車』(『ぼくら』)、『スパイキャッチャーJ3』(『ぼくら』)などを連載した。

1974年、短編「路地」を『ビッグコミック』(小学館)7月25日号に発表し、青年誌に進出する[1]。以後、『リイドコミック』などに青年漫画、劇画を執筆する。

1980年からは、『オオカミ王ロボ シートン動物記』(学研)など、名作や伝記、歴史などの学習漫画を執筆。


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