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ほりうち じつぞう
堀内 實三
生年月日 (1932-09-27) 1932年9月27日(91歳)
出生地山梨県甲府市
国籍 日本
職業映画プロデューサー
ジャンル映画
活動期間1961年 - 1996年
著名な家族小林一三
事務所東宝不動産
受賞
日本アカデミー賞
優秀作品賞
1994年『ラストソング』
その他の賞
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堀内 實三(ほりうち じつぞう、(1932年〈昭和7年〉[1]9月27日[2] - )は、日本の経営者、東宝不動産相談役、元・甲府宝塚劇場代表取締役社長、元・東宝専務取締役、映画プロデューサー。山梨県出身[1][2]。 1932年、山梨県甲府市に生まれる。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}祖母が小林一三の実姉という係累もあり[要出典]、1956年に立教大学経済学部を卒業後、東宝に入社[1][2]。経理部に配属され[2]、関係会社の収支計算に関与する。 1961年、配給部に移り[2]、配給調査、配給業務、配給促進など、市場動向の掌握、配給実務、動員計画など戦略面を学んだ。『東京オリンピック』の動員計画の立案推進、『砂の女』『怪談』などのフリーブッキングにも参画した。 1973年、松岡功常務担当の元で営業本部制が敷かれると、配給部次長になる。配給=興行=宣伝の三位一体化を心がける。映画『八甲田山』(1977年)では、舞台となる八甲田山のある青森県庁へ通い詰め、青森県知事の承認を得て同作品を県民映画とし、地方は遅れ興行が常識であった時代に青森県内の上映全館で一斉封切りを実現した[1]。 1978年に配給部長就任[1][2]。1982年からは映画調整部長も兼ねる[3][2]。1983年、配給部と関東支社が統合した映画営業部の初代部長に就任。映画営業部長兼映画調整部長となる[3]。1984年6月には取締役映画調整部長兼宣伝部長となり、東宝配給の全作品の番組編成および宣伝にコミットした(但し映像事業部扱いのアニメおよび実写作品を除く)。 1984年にゴジラ復活に伴い「ゴジラ復活準備委員会」(のち「ゴジラ委員会」)を立ち上げ、その委員長に就任[1][2]。『ゴジラvsビオランテ』以降もそのポストにあったが、すべてノンクレジット。 1989年に常務取締役。1994年に専務取締役[2][注釈 1]。1997年に子会社東宝不動産の取締役を経て、1998年に同社の代表取締役社長に就任し[2]、翌1999年に東宝取締役を退任した[2][注釈 2]。2005年5月27日に東宝不動産相談役に退く。2017年3月1日に東宝不動産が権利義務一切を承継し解散したこ事により引退。
経歴
代表作
(東宝)宣伝係勅使河原宏
1973年9月8日人間革命東宝映像
シナノ企画
(東宝)本編:舛田利雄
特撮:中野昭慶
12月9日日本沈没東宝映画
東宝映像
(東宝)本編:森谷司郎
特撮:中野昭慶
1976年10月16日犬神家の一族角川春樹事務所
(東宝)市川崑
1977年6月4日八甲田山橋本プロモーション
東宝映像
シナノ企画
(東宝)森谷司郎
1980年3月15日ドラえもん のび太の恐竜小学館
シンエイ動画
(東宝)福富博
1984年12月15日ゴジラ東宝映画
(東宝)本編:橋本幸治
特撮:中野昭慶
1988年4月16日となりのトトロ徳間書店