埼玉銀行
[Wikipedia|▼Menu]

株式会社埼玉銀行
The Saitama Bank, Ltd
旧埼玉銀行本店
(現:埼玉りそな銀行本部・さいたま営業部)
種類株式会社
略称埼銀
本社所在地 日本
〒336
埼玉県浦和市常盤七丁目4番1号
設立1943年7月1日
業種銀行業
金融機関コード0032
SWIFTコードSAIBJPJT
事業内容普通銀行業務
代表者代表取締役頭取 増野 武夫(最後の頭取)
資本金1,384億2,110万8,922円
発行済株式総数10億1,198万6,239株
従業員数7,531人
支店舗数212(内首都圏195)
決算期3月31日
特記事項:1990年3月末のもの[1]
テンプレートを表示
埼玉りそな銀行浦和中央支店(旧:武州銀行本店跡・埼玉銀行前本店)

埼玉銀行(さいたまぎんこう Saitama Bank)は、かつて存在した銀行。地方銀行として発足し、後に都市銀行に転換した。統一金融機関コードは当初は0132、都銀転換後は0032。SWIFTコードは、SAIBJPJT。目次

1 概要

2 沿革

3 店舗網

4 事件

4.1 ニセ夜間金庫事件


5 イメージキャラクター

6 著名な在籍者

7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 参考文献

概要

埼玉県および埼玉県内の大半の市町村の指定金融機関を受託し、通称「サイギン」で県民に親しまれていた。埼玉りそな銀行の源流である。本店は埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区常盤)に置かれ、今日では埼玉りそな銀行さいたま営業部とされている。

埼玉県道65号さいたま幸手線(旧:中山道)沿いに所在した地銀時代の本店や前身の武州銀行本店跡地には、現在、埼玉りそな銀行浦和中央支店(さいたま市浦和区高砂)が立地し、同店の正面入口前の広場には時計塔モニュメントが設置されている。

1950年6月、成立した首都建設法によって埼玉県は同法における計画区域に入った。また1956年4月に成立した首都圏整備法(1965年6月改正)によって埼玉県内の主要部分は近郊整備地帯に含まれ、首都圏の中心部と位置づけられた。これによって、かつて全国一の耕地率を誇っていた農業県であった埼玉にも変化が生じ[2]高度経済成長期である昭和40年代には県南部が東京のベッドタウンとして開発が進展し、人口が急増した。こうした状況から肥沃な金融市場に目を付けた都市銀行や他県に本拠を置く地方銀行相互銀行が続々と埼玉県内に進出してきた[3]

埼玉銀行は、年々競合が激化する状況を踏まえ、首都圏における優位性の確保・経営体質の強化を図ることを目的に[3]、昭和30年代半ばから都市銀行移行を検討する部署を行内に設け、1969年4月には都市銀行への転換が成就した。また「本店の所在地は変更しない」、「地元優先の営業方針を貫く」、「行名は変更しない」を経営方針として掲げ、さらに通称を「サイギン」とし、イメージ戦略を展開した[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef