「浦高」はこの項目へ転送されています。旧制の官立高等学校については「浦和高等学校 (旧制)」を、市立の高等学校については「さいたま市立浦和中学校・高等学校」をご覧ください。
埼玉県立浦和高等学校(さいたまけんりつ うらわこうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市浦和区領家五丁目に所在する県立男子高等学校。
埼玉県の進学指導重点推進校。2014年、スーパーグローバルハイスクール指定校。学校選択問題採用校。通称「浦高」(うらこう)。 1895年(明治28年)、埼玉県第一尋常中学校として創設された旧制浦和中学校を前身とし、戦後、新制埼玉県立浦和高等学校となった。開学以来男子校である。 制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)。以前には学帽も存在していたが、現在は廃止されている。麗和会館に食堂も設置。 3学期制・隔週土曜授業。50分授業で6時限まで(週1日は7時限。土曜は4時限まで)。2年生より文型・理型別。現役での進路実現のため、3年間のプログラムを構築して指導。「浦和高校新世紀構想」として学力育成・進学指導を中心とした教育改革に取り組んでいる。 その一つが、高大連携教育である。
概要
交通
電車
JR京浜東北線北浦和駅 東口より徒歩10分
バス
東武バス「浦高前」下車
車
埼玉県道35号(第一産業道路)「領家」交差点を北浦和駅方向へ曲がり、左側
国道17号(旧中山道)「北浦和駅前」交差点を駅と反対方向へ曲がり、右側
沿革旧制浦和中学記念碑麗和会館
1895年(明治28年) - 埼玉県北足立郡浦和町に開設。埼玉県立第一尋常中学校と称する。
1896年(明治29年) - 浦和町鹿島台(現・常盤)に校舎竣工(現在は浦和警察署や埼玉県知事公館となっている)、開校。
1899年(明治32年) - 埼玉県第一中学校と改称。
1901年(明治34年) - 埼玉県立浦和中学校と改称。
1906年(明治39年) - 初期の校旗と現在の校歌が制定される。
1937年(昭和12年) - 鹿島台から現在の校舎である領家へ移転。
1941年(昭和16年) - 埼玉県立敬和中学校(夜間中学)を併設。
1943年(昭和18年) - 敬和中学校を埼玉県立浦和中学校第二部に改組。
1948年(昭和23年) - 新学制により埼玉県立浦和高等学校と改称。第二部を定時制課程に改組。通信教育部の設置。生徒定員1050名、週5日制実験学校に指定。
1950年(昭和25年) - 埼玉県立浦和高等学校同窓会発足。
1955年(昭和30年) - 第二体育館竣工。
1957年(昭和32年) - 通信教育部が埼玉県立熊谷高等学校通信教育部を統合。
1963年(昭和38年) - 通信教育部を埼玉県立浦和通信制高等学校と改称して、本校に併設する形で独立校となる。
1965年(昭和40年) - C校舎竣工。
1978年(昭和53年) - 文化部室棟全焼。
1980年(昭和55年) - 管理棟A校舎竣工。
1982年(昭和57年) - 自彊館(格技場)・新体育館竣工。
1984年(昭和59年) - 合宿所・文化部室棟・自転車置き場竣工。
1985年(昭和60年) - 東京大学合格者が過去最高の61名。
1986年(昭和61年) - ランニングコース竣工。
1987年(昭和62年) - 浦和通信制高校が大宮市に移転。移転後の校舎を芸術棟に改築。
1988年(昭和63年) - 麗和会館(学食が設置されている)・運動部室棟竣工。
1992年(平成4年) - 弓道場竣工。
1993年(平成5年) - 学校用地(テニスコート)取得。
1995年(平成7年) - イギリスのパブリックスクールであるホイットギフト校
1996年(平成8年) - 家庭科棟竣工。埼玉県立熊谷高校との百年対決を決行
1999年(平成11年) - 単位制の導入。
2000年(平成12年) - 埼玉大学の聴講制度が開始。
2002年(平成14年) - 東京工業大学の聴講制度が開始。
2003年(平成15年) - 第二体育館が解体される。
2004年(平成16年) - 創立110周年記念事業として「浦高百年の森」事業を総会にて決定。
2005年(平成17年) - 一橋大学の聴講制度が開始。
2006年(平成18年) - 「埼玉大学高大連携講座に関する協定」を締結。
2010年(平成22年) - 埼玉県教育委員会の進学指導重点推進校に指定。
2014年(平成26年) - 文部科学省のスーパーグローバルハイスクールに指定。12月、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ合衆国大使が来校。
授業