埼玉県立浦和第一女子高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度51分9.8秒 東経139度39分29.8秒 / 北緯35.852722度 東経139.658278度 / 35.852722; 139.658278
埼玉県立浦和第一女子高等学校(さいたまけんりつうらわだいいちじょしこうとうがっこう)は埼玉県さいたま市浦和区の高等学校[1]。スーパーサイエンスハイスクール指定校・スーパーグローバルハイスクール指定校。 当校では戦前から現在までナンバー名称を変更しておらず国内最後のナンバースクールとなっている。 県内最古の女子校として知られ(県内最古は県立浦和高校)、通称で、『浦和一女(うらわいちじょ)』もしくは『一女(いちじょ)』と呼ばれている。 偏差値は常に72?73の範囲で推移しており、これは公立の女子校としては日本一の高さである。2021年における東京大学への合格者数は6名となっており、県内の公立高校では、県立浦和高校、大宮高校に次いで3番目に多い[2]。1950年から2009年までの東京大学合格者は108名で、県立浦和高校、熊谷高校、県立川越高校、春日部高校に次いで県立高校では5番目に多い[3]。 学校周辺は旧浦和市の中でも高級住宅地として知られる岸町の邸宅街となっている。浦和駅から同校に向かう途中にある坂は「あひる坂」という名称で学校関係者・地域住民に呼ばれている。 男子校である浦和高校と対の存在となる女子校であるため、時に校名を「『浦和女子』に変更してはどうか」という意見が出ることがあるが、上述のような歴史的経緯により、校名の変更は現在まで特に議論されていない。他にナンバースクールが無いにも拘わらず、校名に「第一」の語が含まれている理由は、かつて『埼玉県立浦和第二女子高等学校』が存在したためである(1948年-1950年)。この浦和第二女子高校は1950年に共学化され、埼玉県立浦和西高等学校に改称したため、現在は第一である当校のみしか存在しない。したがって、「第一」の語は歴史的経緯による伝統として遺されたに過ぎず、県内最古の女子校であることや、県内の女子校の最高峰であることを意味するものではない。
概要
年表
1898年(明治31年) - 埼玉私立教育会が埼玉女学校を設立。
1900年(明治33年)3月 - 埼玉県告示第33号により、埼玉女学校を引き継いで埼玉県立高等女学校が設立[4]。
1901年(明治34年) - 新設埼玉県女子師範学校に併置。埼玉県立浦和高等女学校と改称。
1909年(明治42年)11月17日 - 1911年(明治44年)4月より女子師範学校から分離することが認可される[5]。