埼京線
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埼京線

さいたま新都心地区を走行するE233系電車
(2021年6月17日 北与野駅
基本情報
日本
所在地東京都埼玉県
区間大崎駅 - 大宮駅
駅数19駅
経由路線山手線山手貨物線)、赤羽線東北本線
路線記号JA
開業1985年9月30日
(赤羽駅 - 大宮駅間)
所有者東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
車両基地川越車両センター(JR車)、東臨運輸区(東臨車)、かしわ台車両センター(相鉄車)
路線諸元
路線距離36.9 km
軌間1,067 mm
線路数複線
電化方式直流1,500 V架空電車線方式
閉塞方式自動閉塞式大崎駅 - 池袋駅間)
移動閉塞式(池袋駅 - 大宮駅間)
保安装置ATS-P(大崎駅 - 池袋駅間)
ATACS(池袋駅 - 大宮駅間)
最高速度100 km/h

路線図


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埼京線(さいきょうせん)は、東京都品川区大崎駅から新宿区新宿駅豊島区池袋駅北区赤羽駅埼玉県さいたま市南区武蔵浦和駅を経由し、同市大宮区大宮駅までを直通運転する、東日本旅客鉄道(JR東日本)の運行系統上の通称である。路線案内に用いられるラインカラーは緑(■)。駅ナンバリングで使われる路線記号はJAで[* 1]、番号部分は直通運転を行っている東京臨海高速鉄道りんかい線新木場駅からの連番(新木場駅を01とみなす)になっている[報道 1]

正式な路線名は、大崎駅 - 新宿駅 - 池袋駅間が山手線の一部、池袋駅 - 赤羽駅間が赤羽線、赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間が東北本線(の支線)である(詳細後述)が、当該路線の駅などでは大崎駅 - 大宮駅間を直通運行する路線を「埼京線」として案内している。よって、本項ではそれに倣って記述する。

なお大崎駅 - 大宮駅間において埼京線とほぼ同じルートを辿る(一部別ルートで通過駅あり)中長距離の列車線については「湘南新宿ライン」を参照。
概要

東京地区の電車特定区間内の運転系統の一つで、渋谷新宿池袋など山手線西側の副都心と、埼玉県南部の都市を結ぶ通勤・通学路線である。赤羽駅 - 大宮駅間では当路線の隣を東北新幹線の線路が、また約2km東側に東北本線宇都宮線上野東京ライン湘南新宿ライン〉・京浜東北線)の線路が並走している(後述するように同区間において埼京線が通る線路も正式には東北本線の一部)。

昭和後期に埼玉県南部の人口密集地に東北新幹線高架を建設するのに伴い、これに並設する形で「通勤新線」または「通勤別線」という通称の在来新線を同時に建設し、この新線と既存の赤羽線を接続して、埼玉県南部と赤羽駅板橋駅を経由して池袋駅とを結ぶ新路線として設置された。その後山手貨物線への乗り入れ開始により新宿駅恵比寿駅へと徐々に区間が延伸され、2002年平成14年)からは大崎駅を介して東京臨海高速鉄道りんかい線と相互直通運転も行われている[1]。池袋駅 - 大崎駅間の山手貨物線区間は湘南新宿ラインと線路を共有しており、同区間は湘南新宿ラインとともに各駅停車の山手線に対して快速列車としての役割を持つ。さらに2019年令和元年)の相鉄・JR直通線(新宿駅 - 海老名駅)の開業に際し、品鶴線東海道貨物線を経て相模鉄道相鉄新横浜線本線とも相互直通運転を行うようになった。また大宮以北では川越線川越駅まで直通運転を行っている。
「埼京線」を構成する鉄道路線

「埼京線」とは、大崎駅 - 大宮駅間において複数の鉄道路線にまたがって直通運行される本路線の旅客案内上付与された運転系統名であり、正式な線路名称としての「埼京線」は存在しない(同様の例として京浜東北線が挙げられる)。

埼京線を構成する鉄道路線の正式名称は、大崎駅から池袋駅までが山手線(山手貨物線)、池袋駅から赤羽駅までが赤羽線、赤羽駅から大宮駅までが東北本線支線である。かつて、JR東日本は自社公式サイト上で池袋駅 - 赤羽駅間を「赤羽線」としても案内し、赤羽線の4駅の所属路線に赤羽線と埼京線の両方を含めていたが、公式路線図においては赤羽線の表記はない[2][3]

川越線大宮駅 - 川越駅間は、本路線と一体運行されるものの、運転系統名上の「埼京線」には含まれず、当該区間は「川越線」もしくは「埼京・川越線」と案内される。同様に本路線と一体運行される東京臨海高速鉄道りんかい線新木場駅 - 大崎駅間も、運転系統上の「埼京線」には含まれていない。

なお、『JTB時刻表』の「東京近郊区間(埼京線・川越線)」のページにおいては、新木場駅 - 大崎駅間は新木場駅と天王洲アイル駅のみが記載され[* 2]、大崎駅 - 大宮駅間は埼京線、大宮駅 - 川越駅間は川越線として案内されている。

大崎駅 - 新宿駅間において本路線と線路を共用して運行される相鉄線直通列車は、当該区間では埼京線の各駅停車快速通勤快速と同様の案内がされる。『JR時刻表』の埼京線の項目においては、海老名駅 - 羽沢横浜国大駅間は相模鉄道、羽沢横浜国大駅 - 大崎駅間は東海道本線新木場駅 - 大崎駅間は東京臨海高速鉄道りんかい線、大崎駅 - 池袋駅間は山手線、池袋駅 - 赤羽駅間は赤羽線、赤羽駅 - 大宮駅間は東北本線、大宮駅 - 川越駅間は川越線と正式路線名に従って案内されている。
方向表記

埼京線は、方向が「南行」と「北行」を用いて表される場合と、「上り」と「下り」を用いて表される場合がある。前者はJR東日本ホームページの時刻表[4]などに、後者は同ホームページの列車混雑状況[5]などに見受けられ、統一されていない。本項においても、南北による表記と上下による表記が混在する場合があるが、「南行」と「上り」(大崎方面)、「北行」と「下り」(大宮方面)はそれぞれ同じ方向を表す。
歴史埼京線開業以前の赤羽線区間の歴史については「赤羽線#歴史」を、大崎駅 - 池袋駅間の歴史については「山手線#山手貨物線」を、大崎駅 - 池袋駅間の旅客化の歴史については「湘南新宿ライン#歴史」を参照

本節では、埼京線が計画された当時からの歴史を記述する。(本節全体の出典:[6][7][8][9]
通勤新線建設計画「通勤五方面作戦」も参照

1970年代当時の国鉄は、東京周辺の人口増加に対し輸送力が追いつかず、”通勤地獄”とも呼ばれラッシュ時の混雑緩和が急務となっていた。そこで、国鉄は通勤五方面作戦と総称される混雑緩和策を講じて、線路増や編成長増大などを行い、その一環として東北本線の赤羽駅 - 大宮駅間における客貨分離運転を行い、列車増発などで対応していった。しかし、その後の人口の外延化に伴い東北・高崎線の輸送量は増大し、さらなる輸送力の増強が求められた。

一方で、東北上越新幹線の建設工事は、運輸省(当時。現・国土交通省)から認可が下りた1971年昭和46年)10月1日から建設工事に着手することになった。当初、東北・上越新幹線の建設計画では赤羽 - 大宮間のうち埼玉県内を地下化とする予定であった。しかし1973年(昭和48年)3月10日、地下化によるトンネル建設案は地盤の問題を理由に難しいとされ、「通勤新線」[* 3]を併設した形での高架化案が運輸省を通じて埼玉県知事などに示された。この提案は、地元が高架化案を受け入れた場合の「見返り」としての提案でもあった。

だが、高架橋による新幹線の建設案は、当時東海道・山陽新幹線沿線での騒音問題が生じていたこともあり、既に起きていた沿線住民(戸田・浦和・与野3市と東京都北区)による強力な反対運動のさらなる活発化を招き、埼玉県は高架化の提案を拒否した(詳細は後述)。

その後の国鉄と地域との間の交渉の中で、国鉄側が東北・上越新幹線の騒音問題に対する措置をとることや、通勤新線の建設を正式に表明したことを受け、沿線の自治体がラッシュ緩和や通勤時の交通利便性の向上と「通勤新線」の快速の停車を国鉄に要望、住民側からも新線の期待が次第に高まったことから、沿線自治体も新線併設を条件に新幹線建設賛成に舵を切り、それらの要望などの具現化を盛り込んだ建設計画がようやく合意された。

国鉄は東北新幹線大宮駅 - 東京駅間の建設開始とともに「通勤新線」赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅 - 宮原駅間 (22.0km) の建設認可を1978年(昭和53年)11月に申請、同年12月に認可されて建設工事が開始された。
通勤新線の構想と実際の施設

当初、通勤新線は赤羽駅 - 宮原駅間を建設し、高崎線に乗り入れて新宿駅へ直通させる構想で、1985年の運輸政策審議会答申第7号でも宮原延伸が計画されていた。当時の地図付録の路線図などにも予定線が大宮から宮原に延びて記されている。

新たに建設される赤羽駅 - 大宮駅間は、赤羽台トンネルと地下の大宮駅付近を除き、全面高架で新幹線と一体となった構造で、中間には10駅を設置、当初から快速電車の運転を考慮して、2駅(戸田公園駅南与野駅)の外側に通過線を設けた1面4線とした。また、武蔵野線と接続駅となる武蔵浦和駅は、緩急接続ができるように2面4線の構造とした[* 4]

しかし、埼京線の車両基地用地として候補に挙がっていた武蔵浦和駅付近のロッテ浦和工場の敷地の用地買収が難航し、宮原駅周辺でも用地買収の面から反対運動が起こったため、将来用地の拡大が容易な南古谷駅付近に車両基地(川越電車区。現・川越車両センター)を建設することになり、同時に沿線人口が伸び続け、通勤路線として活発化が期待できるとして、当時非電化だった川越線を電化することになった[10]

よって、こちらの工事を優先する必要性に迫られ、大宮駅 - 宮原駅間の建設は中止となったが、大宮駅 - 日進駅間の高崎・川越線並走区間で川越線側にトンネル用地や合流用地がある。さらに、高崎線の大宮駅 - 宮原駅間も立ち退きがほぼ完了し、複々線化用地がほぼ確保されていた。

なお、当初の構想であった高崎線の池袋・新宿直通は、JR発足後に東北・山手貨物線を利用して実現し、のちの湘南新宿ラインへと発展している。これを受けて2000年の運輸政策審議会答申第18号からも計画が削除され、高崎線の複々線化用地も住居や駐車場などへの転用が始まっている[* 5]
埼京線開業

1985年(昭和60年)9月30日、ついに埼京線は開業の日を迎え、同時に川越線大宮駅 - 高麗川駅間も電化開業した。運転区間は池袋駅 - 川越駅間で、最短44分(通勤快速)で結び、それまで赤羽駅、大宮駅で乗り換えを含め69分かかっていた同区間の大幅な短縮効果は大きく、開業日のラッシュ時の乗車率は150%を記録した。一方で、混雑の激しかった京浜東北線は、埼京線に乗客が移行したことで、約30%減(浦和駅)[新聞 1]となり、埼玉県南部から都内への通勤の足が大きく改善された。

開業直後の使用車両は103系で、列車の運行形態は、平日朝夕ラッシュ時のみの通勤快速と平日昼間及び休日は終日の快速、各駅停車の3本立てで、通過運転を行う赤羽駅 - 大宮駅間では、通勤快速が武蔵浦和駅のみ停車、快速が戸田公園駅・武蔵浦和駅・与野本町駅とされた。順調なスタートを切ったと思われる埼京線であるが、開業初日には導入したPRC(自動制御装置)のシステム不具合が生じてダイヤ乱れのトラブルや、赤羽駅 - 大宮駅間を走行する103系電車の騒音問題、後年では、痴漢犯罪の多発が生じた(これらの詳細は後述)。

1986年3月3日には、山手貨物線へ乗り入れ、新宿駅まで運行区間を延伸、新宿駅の貨物発着線にホームを1面(現:1・2番線ホーム)と引上線1線を新設、朝夕ラッシュ時は全列車新宿発着として、山手線の混雑緩和と池袋駅 - 新宿駅間の輸送力増強を図った。この新宿延伸は埼京線開業当時から予定されていたもので、開業前の1980年(昭和55年)から、新宿区や地元商工団体が通勤新線の延長を国鉄に求めていた。


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