基町
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基町
町丁
基町地区再開発事業完成記念碑
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日本
都道府県 広島県
市町村 広島市
中区
面積[1]
 ? 合計0.978509694 km2
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号730-0011
市外局番082
ナンバープレート広島

基町(もとまち)は、広島県広島市中区の町名。正式な町名となったのは1887年明治20年)で「広島開基の地」に因んで名付けられた[3]

中世においては太田川河口付近に当たり、近世においては広島城城郭内に当たり、近代においては大日本帝国陸軍用地となり軍都広島の中心地であった。日清戦争時には広島大本営が設置され一時的に日本の首都であった。

広島市への原子爆弾投下で破壊目標地点となり壊滅的な被害を受ける。荒廃した地に公営住宅が整備されたがそれ以上に人が流入したため原爆スラムを形成し、戦後都市計画の歪が集約したような地区となった。そこで市営基町高層アパートを中心とした一大再開発事業が行われた。

広島市都心部の紙屋町・八丁堀に接し、広島県庁舎広島県警察本部・日本銀行広島支店などが揃う官公庁街であり、そごう広島店・NTTクレド基町ビル(基町クレド)・紙屋町シャレオなどの大型商業施設が密集する。広島市中央公園があり市の条例(広島市公園条例第6条の3)では特に広島城及びその周辺の区域を中央公園の「広島城区域」として定めている[4](一般には「広島城公園」「広島城址公園」と呼ばれている)。公園内にはスポーツ文化施設に加え、大本営跡・中国軍管区司令部跡・被爆樹木・勝鯉の森などの歴史的文化財が点在する。
地理

広島平野の中央上部に位置する。戦国時代末期に毛利輝元広島城を築くにあたり整地された地区である。現在の行政区域は、西端が太田川水系旧太田川、南端が相生通り、東端が京口門通り、北端が城北通りになり、広島城の旧外堀に一致する。

丁目は無い。郵便番号は730-0011(広島中央郵便局管区)。

地形の起伏はほぼない。地質は20万分の1地質図によると、後期更新世-完新世の海成または非海成堆積岩[5]。町の西側を一級河川旧太田川が流れる。広島市中央公園内には城の内堀を旧太田川の河川水を用いて循環浄化する目的で整備された堀川が流れており、内堀および堀川は旧太田川を本流とする準用河川に指定されている[6]

道路は、城を基準に碁盤目状に配置されている。その基準となった城の曲輪が時計回り方向に約18度傾いているが、その理由は不明であり当時の河川の状況から決まったものと推定されている[7]。町の中央を城南通りが横断し、町の南端の相生通りで広島電鉄本線が通る。町の南北方向を鯉城通り祇園新道が貫きその下をアストラムラインが通る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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