城端曳山祭
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城端曳山祭 (じょうはなひきやままつり) は、富山県南砺市城端地域にて毎年5月5日に行われる城端神明宮の春季祭礼。御神像を載せた豪華絢爛な曳山や庵屋台が町内を巡行する曳山神事で、江戸時代享保初期(1710年代)に成立し、明治以降春祭りとして毎年5月に開催[1]5月4日夜には宵祭が行われる。かつては5月15日に行われていたが祭礼を執り行う人手確保のため2006年平成18年)よりゴールデンウィーク中の現在の日程となった。この祭礼は、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
概要

獅子舞、剣鉾、8本の傘鉾、四神旗、4基の神輿、6基の庵屋台(いおりやたい)、「ぎゅう山」といわれる6基の曳山が、越中の小京都と言われる城端の旧市街を厳かに曳き回される。また若連中といわれる囃子方・唄方が庵屋台の中に入り各所望所(しょもうしょ)にて江戸情緒溢れる庵唄を披露する。夜には提灯山となり夜遅くまで賑わう。曳山(御神像を載せる山車)と庵屋台(料亭を模した造りで鳴り物が載る山車)は、旧市街の6地区(大工、西上、西下、東上、東下、出丸)がそれぞれ所有し、宵宮(宵祭り)には、各御神像を座敷に飾る「山宿」も6か所設けられる[1]

城端地域の前身である城端町は、真宗大谷派寺院「善徳寺」が1559年永禄2年)に福光(現・南砺市)より移り、1573年天正元年)には城端が開町し市が開かれた後門前町・市場町として絹織物で栄えた町である。神明社ができたのは1574年(天正2年)、その後1685年貞享2年)社殿再建の際春・秋祭りが始まった。神輿が完成し獅子舞や傘鋒の行列が始まったのは1717年享保2年)の秋祭りからである。1719年(享保4年)秋祭りに曳山が完成、1724年(享保9年)には神輿の巡行に曳山が曳航され現在の曳山祭りの基礎ができた。明治末期より大正時代末に掛けて曳山改良競争が起き、各町内が手を加えていった結果現在の絢爛豪華な曳山になったといわれる。またこの祭りの大きな特徴の一つである庵屋台は、庵唄の稽古番記録が1822年文政5年)からあることからこの頃からあったと考えられている。

1981年昭和56年)1月22日、県の無形民俗文化財に指定され、その後2002年(平成14年)2月12日には今日まで江戸時代からの古い祭礼形式が継承されていることが評価され、「城端神明宮祭の曳山行事」として国の重要無形民俗文化財に指定された。また2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。

2016年平成28年)10月には、18府県33件の「山・鉾・屋台行事」の中の1件として、ユネスコの無形文化遺産に登録勧告され[2]、同年12月1日に登録された[3]

2020年令和2年)4月4日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、関係諸団体はこの年の曳山の巡行などの中止を決定し、社殿での神事等のみは行われた[4]。また翌2021年(令和3年)の祭礼は、5日の本祭りは2年連続の中止とし、4日の宵祭りは、山宿でのご神体の公開と、各町内の一部所望所で庵唄の所望を行う予定であったが[5]、その後全面中止が決定した[6]2022年(令和4年)の祭礼は曳山巡行時間の短縮、夜に明かりをともす『提灯山』の中止などの縮小開催とし、2023年(令和5年)の祭礼は4年ぶりに通常開催された[7]
庵唄と若連中

庵唄は江戸時代の端唄を元とし現在数十曲が伝承されており、城端の先人達が江戸から持ち帰った端唄や替え歌、小唄調なども採り入れながら江戸の粋な文化に浸ったという遊び心あふれる文化が、現在まで継承されているものである。囃子には横笛三味線太鼓が用いられる。また庵唄・囃子を受け持つ若衆を若連中といい各町内ごとに会(連)名があり、毎年寒稽古、本稽古をへて祭礼当日紋付姿の若連中が、庵屋台の中で庵唄や曳山囃子を奏でる。
主な庵唄

薄墨・玉川・辰巳・夏は蛍・重ね扇・宇治茶・川竹・忍ぶ恋路・松風・夕暮・五月雨・萩桔梗・槍さび・宝ほの・花筏・鶴の声・草の葉に・我がもの・橘・書き送る・秋草・雪巴・手鏡に・筆のかさ・一聲・空ほの・打水・海晏寺・ほととぎす・沖の瀬に・浅くとも・秋草・春惜む など

庵唄は毎年各町が一曲ずつ選曲する。

囃子には本囃子・まわりあい(間奏曲で各町で違う)・休み囃子がある。

若連中は青年男子のみで20?30代が中心であり数えで45歳ぐらいまでである。その後は世話役などに回る。

2015年(平成27年)4月には、南砺市の各祭礼で庵屋台を持ち、庵唄を継承している4団体が集まり、地方、謡い手の技術向上・育成、継承保存を目的に、「南砺市庵唄伝承保存活動協議会」を立ち上げた[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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