広島県に所在する「広島城北中学校・高等学校」とは異なります。
城北中学校・高等学校(じょうほくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都板橋区東新町二丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]である。 東京府立第四中学校(現:東京都立戸山高等学校)と、その前身である東京府城北中学校で40年の長きに亘って校長を務めた深井鑑一郎と、その高弟で凸版印刷社長として印刷業界の草分け的存在で実業界の重鎮でもあった井上源之丞
概要
戦前の開校以来、旧制高等学校や士官学校への進学を目指す校風であり、現在も伝統的に人格形成や大学進学教育に力を入れている。卒業生の多くが、東京大学や東京工業大学などの国公立大学、早慶などの難関私立大学、国公私立大学医学部などに進み、各界で有用な人材を輩出している。校地は約4万平方メートル(1万2千坪)で、卒業生は3万人を越える。
なお、埼玉県川越市にある城北埼玉中学・高校とは、かつて系列校であったが、現在は関係ない。
沿革
1888年(明治21年)- 府立一中校長・丸山淑人、松野勇雄、元田直、今泉定助らが皇典講究所(学校法人國學院大學の前身)に補充中学校を設立。後に私立学校の共立中学校に改組。
1894年(明治27年)- 共立中学校を「東京府城北尋常中学校」と改称し、私立のまま東京府へ移管。
1898年(明治31年) - 東京府城北尋常中学校(旧:補充中学、共立中学)第6代校長に深井鑑一郎が就任。1899年、中学校令改正により東京府城北中学校となる。1901年、東京府へ完全に移管し城北中学は府立四中に改組。
1935年(昭和10年) - 府立四中・深井鑑一郎校長が、四中補習科を分離し、東京府東京市牛込区(現:新宿区)市ヶ谷左内町に私立城北高等補習学校を開校。
1941年(昭和16年) - 城北高等補習学校寄宿舎を仮校舎として「城北中学校」を開校。
1943年(昭和18年) - 現在地(東京板橋区)に城北中学校の校舎が移転。深井の逝去に伴い第2代校長に近藤薫明教頭が就任。
1948年(昭和23年) - 学制改革により、中・高の六年制となる。
1951年(昭和26年) - 市ヶ谷校地が帰属し、城北予備校を開校(1987年廃校)。
1988年(昭和63年)8月から1990年(平成2年)8月にかけて、校舎の全面改築。
1993年(平成5年) - 3期指導体制導入(1998年(平成10年)3期指導体制確立)。
2004年(平成16年) - 中学7クラス、高校2クラス募集となる。
2005年(平成17年) - 第7代校長に帖佐正雄が就任。
2014年(平成26年) - 第8代校長に小俣力が就任。
校風・教育