城のある町にて
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城のある町にて
作者
梶井基次郎
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『青空1925年2月20日発行2月号(第1巻第2号・通巻2号)
刊本情報
収録作品集『檸檬
出版元武蔵野書院
出版年月日1931年5月15日
題字梶井基次郎
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『城のある町にて』(しろのあるまちにて)は、梶井基次郎短編小説。「ある午後」「手品と花火」「病気」「勝子」「昼と夜」「雨」の6章の挿話から成る。幼い異母妹の死を看取った後の不安定な感情や悲しみを癒すために訪れた、姉夫婦一家の住む三重県松阪町での実体験を題材にした私小説的作品である[1][2][3][4]。基次郎の代表作の一つでもあり、作中の「今、空は悲しいまで晴れてゐた」という一文は有名である[5][6]
発表経過

1925年(大正14年)2月20日発行の同人誌青空』2月号(第1巻第2号・通巻2号)に掲載された[1][7]。その後、基次郎の死の前年の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された[7]。同書には他に17編の短編が収録されている[8]
あらすじ松阪城

幼くして亡くなった妹の死からまだ五七日も過ぎぬ夏の盛り[注釈 1]、この城下町にやって来た峻は、静かな気持で妹の死を考えていた。この町は峻の姉夫婦が住んでいる土地で、近くには城跡(松阪城跡)があった。その城跡に登った石垣のベンチから一望できる風景は、妹を失った実感を強く刻むと同時に、その苦しみを徐々に癒し、都会に倦んだ峻の心に敬虔で新鮮な感慨を与えた。

悲しいまでに晴れた空の下、を並べた町並みの中で人々は暮していた。I湾(伊勢湾)の海のパノラマの眺め、城跡の木立で文法の練習をしているように鳴く法師蝉、昆虫と戯れる子供ら、夜になると活気づく青年たち、秋が近づく自然の移り変わりを感じながら、峻はそれらを眺めた。

ある晩、城跡の夜散歩から戻った峻は、姉夫婦に手品見物に誘われ、姉の娘・勝子、義兄の妹・信子の5人で芝居小屋(相生座)に出かけた。印度人の披露する悪ふざけの笑いの下品な余興や三流手品に峻は不愉快になった。つまらない手品を見ながら、峻は今しがたの城跡のことを思い出した。

それは、夜景の遠くかすかに見えた星水母のような花火の美しさと、たまたま隣に来た少年たちの会話だった。花火を見て、「花は」と1人が訊くと、誰かが「Flora」と答えた[注釈 2]。峻はその「Flower」とは言わなかった子供とパノラマが、どんな手品師も叶わない素晴らしい手品だったと思った。

ある日、腎臓を悪くして姉が寝込んだ。その時に峻は義兄から、北牟婁郡に住んでいた頃に勝子が近くの川で溺れ死にそうになった話を聞かされた。それは姉の留守中、義兄の祖母(70歳すぎ)が勝子を連れて川に茶碗を洗いに行った時だった。義兄は心臓脚気で臥せっていたが、叫び声で異変に気づき、川に流される勝子を危機一髪で助けた。

それ以来、孫の嫁(姉)に済まない気持を抱いた義祖母はボケ始め、ずっと「よしやんに済まん」と言い続け1年後に死んだという。そんな話を聞いた峻は、勝子のお守りをしようとしてそんな目に遭った義祖母の運命が何か惨酷なものに感じられた。

ある曇った日、峻は部屋の窓から原っぱの方を眺めていると、遊んでいる子供たちの中に、男児に倒される勝子を見つけた。子供たちは何か荒い遊びをしているようで、1人の男児が順番に並ぶ女児を次々と引っ張って倒していた。日頃勝気な勝子は他の女児よりも余計にその男児から手荒に意地悪をされているようだった。

峻は自分が見ていることを男児に気づかせるために注視していたが、勝子が平気な顔で耐えているのか、わざと手荒にしてもらいたいのか解らなかった。その晩の夕食の後、勝子は指に刺さったのため、激しく泣いて姉を手こずらせた。峻にはその泣き声が、昼間のやせ我慢を爆発させている悲しいものに感じられた。

峻はある日、城の崖の蔭にある大きな井戸から汲んだ水で洗濯をする若い女たちを見ていた。その様子はとても健康的で幸福な眺めであった。その平明で単純な世界から、峻は国定教科書にあった唱歌の詩や、明るい子供の丸顔の挿絵を思い出し、憧憬を感じた。

そんな「食ってしまいたくなるような風景」への愛着や、新しい生活への想像で眠れない夜が時々訪れると、昼間の峻はその疲労と興奮で、熱い頬をの樹の肌に押しつけて冷やしたい衝動にかられたり、散文詩を葉書に書いたりした。

8月の終わり、信子が学校の寄宿舎に帰ることになった。荷物を行李に詰めて、近所で借りた乳母車で翌朝、停車場まで勝子も連れて義母が手伝って持っていくらしかった。峻は、今夜のうちに切符を買って先に荷物を送ってしまえばいいと助言し、自分が持っていこうと申し出たが、信子と義母は遠慮した。

峻は、義母と娘との3人が連れ合って、乳母車で荷物を引いて停車場に向う夏の朝の風景を思い浮かべ、それを美しいと感じた。もしかしたら彼女たちは互いにそんな出発の朝の楽しさを思っているのではないかと空想した峻は、清らかな気持になった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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