垂水ゴルフ倶楽部
Tarumi Golf Club
垂水ゴルフ倶楽部の空中写真。
2009年5月11日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
OUTIN
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9432194370
計352973計352688
垂水ゴルフ倶楽部(たるみゴルフくらぶ)は、兵庫県神戸市垂水区潮見が丘に広がるゴルフ場である。 垂水ゴルフ倶楽部は、1920年(大正9年)、新たなゴルフ場の建設に向け、日本綿花株式会社(現、双日株式会社)・南郷三郎、久保正助らが発起人となり、社団法人「舞子カントリー倶楽部」を創設したことに始まる[1]。1920年(大正9年)10月3日、明石郡垂水村に「舞子カントリー倶楽部」9ホールゴルフ場を開場した[2]。日本では、第7番目に開場した歴史のあるゴルフ場である[1]。その後、1932年(昭和7年)7月29日、舞子カントリー倶楽部を閉鎖[1]、同年7月、ゴルフ場は「新興土地建物株式会社」に売却され、同年9月、太平洋戦争までパブリックコース「舞子ゴルフ場」を開場した[2]。その後、1943年(昭和18年)8月31日、舞子ゴルフ場を閉鎖し、 1944年(昭和19年)、「三菱重工業株式会社」の厚生農園に変わった[1]。 1951年(昭和26年)9月23日、芋畑となっていた舞子ゴルフ場9ホールが整備され、新たなゴルフ場「垂水ゴルフ倶楽部」を創設した[2]。1953年(昭和28年)4月1日、コース設計をJ・E・クレーンに依頼、18ホール規模のゴルフ場を着工、翌年の、1954年(昭和29年)7月、18ホール増設、ゴルフ場が完成し開場した[2]。 コースは、全体的にはフェアウェイは狭く、グリーンは砲台型で小さく、バンカーが深いなど、手造りの良さが目立つ丘陵コースである。アウトコースは、比較的フラットなコースであるが、インコースは、打ち上げ、打ち下ろし、池越えなど、変化に富んでおり、正確なショットが要求されるコースである。 J・E・クレーンは、1892年(明治25年)、イギリス人の父と日本人の母に生まれ、日本ゴルフ史に残るゴルフ場設計家である。太平洋戦争をまたぎ1980年(昭和55年)まで関西を中心に数多くの設計に携わった。設計したコースは22コース程あり、特徴としては、あくまでも自然が主役で、微妙な起伏を生かすことで難易度を高めることを主眼にした[3]。 〒655-0005 兵庫県神戸市垂水区潮見が丘二丁目2番1号
概要
歴史
1920年(大正9年)10月3日 - 社団法人「舞子カンツリー倶楽部」を創設
1932年(昭和7年)
7月29日 - 舞子カンツリー倶楽部を解散
7月 - ゴルフ場を新興土地建物株式会社に売却
9月 - パブリックコース「舞子ゴルフ場」を開場
1943年(昭和18年)8月31日 - 舞子ゴルフ場を閉鎖
1944年(昭和19年) - ゴルフ場を三菱重工業株式会社に売却
1951年(昭和26年)9月12日 - 「垂水ゴルフ倶楽部」を創設
1953年(昭和28年)4月1日 - 18ホール規模のゴルフ場に着工
1954年(昭和29年)9月7日 - 18ホール規模のゴルフ場が完成
1960年(昭和35年)4月6日 - 新クラブハウス完成[4]
所在地
コース情報
開場日 - 1920年10月3日
設計者 - J・E・クレーン
面積 - 470.000m2(約14.2万坪)
コースタイプ - 丘陵コース
コース - 18ホールズ、パー70、5,955ヤード、コースレート67.7
グリーン - 1グリーン、ベント(ペンクロス)
プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)、自走式、全組キャディ付き
練習場 - 12打席 200ヤード
休場日 - 毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、2・5・8月の最終火曜日、12月31日、1月1日[5][6]
ギャラリー
コース - ⇒「垂水ゴルフ倶楽部」、コース紹介、コース全景図
ハウス - ⇒「垂水ゴルフ倶楽部」、施設案内
交通アクセス
鉄道 - JR神戸線(山陽本線) - 垂水駅よりタクシー利用 約7分、路線バス 約10分
道路 - 阪神高速7号北神戸線 - 前開出入口より 7km[7]
エピソード
創設時の「舞子カントリー倶楽部」は、「六甲だけでは冬のゴルフができない」とゆう理由で、明石郡垂水村にゴルフ場が造られた経緯がある。しかし、舞子カントリー倶楽部の歴史は、僅か12年で終わった[8]。
昭和に入って、「茨木カンツリー倶楽部」、「廣野ゴルフ倶楽部」など、本格的なゴルフ場が相次いで開場し、「舞子カントリー倶楽部」が解散したときは、メンバーの大半は廣野ゴルフ倶楽部に移った[8]。
コース設計のJ・E・クレーンには、弟のH・C・クレーンがおり、鳴尾ゴルフ倶楽部の設計を行った。弟は無報酬で「垂水ゴルフ倶楽部」の設計を手伝ったこともあり、鳴尾ゴルフ倶楽部のDNAを見ることが出来る[8]。
垂水ゴルフ倶楽部の、インコースの12、13、14、16番ホールは、明石海峡大橋に向かって打つ豪快なホールである[8]。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d ⇒「垂水ゴルフ倶楽部」、倶楽部概要、2020年12月10日閲覧
^ a b c d 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「垂水ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年12月30日閲覧