坪井善勝
生誕1907年(明治40年)5月27日
東京市
死没 (1990-12-06) 1990年12月6日(83歳没)
東京都新宿区
国籍 日本
出身校東京帝国大学
職業構造家・建築構造学者
受賞日本建築学会賞作品賞(1954年)
日本建築学会賞大賞(1976年)
勲二等瑞宝章(1978年)
日本学士院賞(1987年)
所属坪井善勝研究室
建築物国立屋内総合競技場
東京カテドラル聖マリア大聖堂
大阪万博お祭り広場
坪井の構造設計による国立屋内総合競技場(意匠設計は丹下健三)
坪井 善勝(つぼい よしかつ、1907年5月27日 - 1990年12月6日)は、日本の構造家。建築構造学者、構造デザイナー。東京都生まれ。東京大学名誉教授。
1929年東京帝国大学工学部建築学科入学。1932年東京帝国大学大学院入学。和歌山県営繕技師、九州帝国大学助教授を経て、1942年東京帝国大学第二工学部建築学科教授。1949年から1968年まで、東京大学生産技術研究所第5部教授。田治見宏
、青木繁、若林實、川口衞らを育てる。1950年代後半からは小野薫の病により日本大学理工学部と小野の兼務先である東北大学工学部教授も兼任した。兼任先では川股重也、斎藤公男、今川憲英、中田捷夫らを育てる。1968年、東京大学退官後は同校名誉教授、日本大学教授、早稲田大学客員教授、足利工業大学顧問教授。1974年には清水建設技術顧問、また国際シェル・空間構造学会会長・名誉会員、建築工学研究会理事長となり、1980年に株式会社坪井善勝研究室を設立。シェル構造研究の第一人者であり、構造デザイナーとしても優れた作品を残す。国立屋内総合競技場、東京カテドラル聖マリア大聖堂、愛媛県民館、万博お祭り広場などの丹下健三の作品は坪井の構造設計に負うところが大きい。著書に連続体力学序説(産業図書 ISBN 978-4-7828-6004-5)など多数。死後、その功績を記念し、国際シェル・空間構造学会によって坪井賞が設けられた。目次 名称年所在地状態備考 名称年所在地意匠設計状態
1 受賞
2 主な仕事
2.1 意匠・構造設計作品
2.2 構造設計作品
3 参考文献
受賞
1941年 日本建築学会賞学術賞
1954年 日本建築学会賞作品賞
1965年 日本建築学会賞特別賞、文部大臣賞
1976年 科学技術庁長官賞
1976年 日本建築学会賞大賞、エドゥアルド・トロハ賞
1978年 勲二等瑞宝章
1987年 日本学士院賞
主な仕事
意匠・構造設計作品
/下関市立体育館1963年(昭和38年)35山口県下関市
/弓張岳展望台1965年(昭和40年)42長崎県佐世保市
構造設計作品
/九州帝国大学工学部航空学教室1939年(昭和14年)40福岡市西区島岡春三郎
/愛媛県民館1953年(昭和28年)38愛媛県松山市丹下健三現存せず
/広島子供の家1953年(昭和28年)34広島県広島市丹下健三現存せず
/駿府会館1957年(昭和32年)22静岡県静岡市丹下健三現存せず
/香川県庁舎1958年(昭和33年)37香川県高松市丹下健三
/今治市庁舎・公会堂1958年(昭和33年)38愛媛県今治市丹下健三
/倉敷市庁舎1959年(昭和34年)33岡山県倉敷市丹下健三
/東京国際貿易センター1959年(昭和34年)13東京都中央区村田政真現存せず
/尾崎記念会館1959年(昭和34年)13東京都千代田区海老原一郎
/大日本インキ工場1960年(昭和35年)13東京都板橋区海老原一郎
/戸塚カントリー倶楽部・クラブハウス1961年(昭和36年)14神奈川県横浜市丹下健三現存せず