坊津町秋目
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坊津町秋目
大字
秋目の集落と秋目港
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度21分40秒 東経130度11分57秒 / 北緯31.36103度 東経130.19914度 / 31.36103; 130.19914座標: 北緯31度21分40秒 東経130度11分57秒 / 北緯31.36103度 東経130.19914度 / 31.36103; 130.19914
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 南さつま市
地域坊津地域

人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在)
 人口57 人
 世帯数38 世帯
郵便番号898-0212
市外局番0993
ナンバープレート鹿児島
運輸局住所コード[2]46518-0216
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 鹿児島県
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坊津町秋目(ぼうのつちょうあきめ)は、鹿児島県南さつま市大字[3][4]。旧薩摩国河辺郡秋目郷秋目村、薩摩国河辺郡久志秋目郷秋目村、薩摩国河辺郡南方郷秋目村、川辺郡西南方村大字秋目、川辺郡坊津村大字秋目、川辺郡坊津町大字秋目。郵便番号は898-0212[5]。人口は57人、世帯数は38世帯(2020年10月1日現在)[6]

天平勝宝5年(753年)にから渡海しのちに日本の律宗の開祖となる「鑑真」が日本本土に初めて上陸(漂着)した地とされる[7][8]。江戸時代には薩摩藩の重要なであり、琉球日本海沿岸、蝦夷との交易や、との密貿易の拠点となった[8][9]1967年(昭和42年)に公開された『007』シリーズ映画の第5作『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)では秋目はロケ地となり[10]、「神戸上海の間にある島」という設定で登場する。撮影を記念して関係者の直筆サイン入りの石碑が建立されている[11]
地理

薩摩半島の南西部に位置しており、野間半島の付け根に位置する。南さつま市の坊津地域の北端にあり、西南方向は東シナ海に面しており、北東から南にかけて大浦町、北西に笠沙町赤生木にそれぞれ接している。2005年の市町村合併前の坊津町時代は大字久志と大字秋目の間に川辺郡大浦町があったため、坊津町としては飛び地となっていた[12]

秋目湾に面して集落と漁港があり、集落の周囲は山に囲まれている[12]。秋目湾は中生層山地の沈降によって出来た湾であり、リアス式海岸となっている[3]。海岸線に沿って南さつま市加世田地域から坊津地域、枕崎市指宿市を経て鹿児島市に至る国道226号が通っている。また、集落の中央を秋目川が流れ東シナ海に注いでおり、秋目漁港付近から秋目川に沿って鹿児島県道271号秋目上津貫線が秋目峠を経て大浦町方面を結んでいる[12]

集落にはかつて坊津町立秋目小学校や秋目簡易郵便局が存在していたが前者は1971年(昭和46年)に大浦町立大浦小学校(現在の南さつま市立大浦小学校)に統合され[13]、後者は1995年(平成7年)に廃止されている。
島嶼
沖秋目島

秋目港から約4キロメートル沖合、野間岬から8キロメートルにある無人島である[14][15][16]。面積は約0.39平方キロメートル、周囲は約4キロメートルである[14]第二次世界大戦終戦前までは3世帯が居住しており、半農半漁の生活を営んでいたが、1950年(昭和25年)頃に無人島となった[14]。沖秋目島にはビロウが自生しており、枇榔島(蒲葵島)とも呼ばれる[12]

江戸時代後期に薩摩藩が編纂した地誌である『三国名勝図会』では沖秋目島(三国名勝図会では「蒲葵島」とされている)の由来と島内にある戸柱大明神について以下のように記述されている[14][17]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

秋目村に属す、周廻凡そ一里、蒲葵樹甚多し、故に名を得たり、往古は此島を秋目島といふ、又島の邊群魚の聚る所にて、漁釣に利ありといふ、此島に戸柱大明神祠あり、祭神素蓋鳴尊稲田姫命、祭祀六月十五日、此島の海に暗礁あり、昔時唐土の舟船、其暗礁に触れて危殆なりしが、舟人戸柱神に?りしに、神力を以て其難を免れ、長崎に至り、鎮台に状啓す、鎮台是を本藩(※薩摩藩のこと)に告ぐ、此後官より祭米を給与せられるといふ、其事棟札に記せり、—三国名勝図会巻之二十七

秋目の南西に浮かぶ沖秋目島


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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