均州(きんしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の湖北省丹江口市一帯に設置された。
概要・安富
585年(開皇5年)、隋により豊州は均州と改称された。605年(大業元年)に均州は廃止されて、淅州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、淅州は淅陽郡と改称された[2]。618年(義寧2年)、淅陽郡の武当・均陽の2県を分割して武当郡が置かれた[3]。
618年(武徳元年)、唐により武当郡は均州と改められた。627年(貞観元年)、均州は廃止され、淅州に編入された。634年(貞観8年)、淅州が廃止され、淅州の武当・?郷の2県をもって均州が置かれた。742年(天宝元年)、均州は武当郡と改称された。758年(乾元元年)、武当郡は均州の称にもどされた。均州は山南東道に属し、武当・?郷・豊利の3県を管轄した[3]。
1119年(宣和元年)、均州に武当軍が置かれた[4]。宋のとき、均州は京西南路に属し、武当・?郷の2県を管轄した[5]。
元のとき、均州は襄陽路に属し、武当・?郷の2県を管轄した[6]。
1912年、中華民国により均州は廃止され、均県と改められた。
脚注^ 『周書』宣帝紀
^ 『隋書』地理志中
^ a b 『旧唐書』巻三十九 志第十九 地理二「均州,下,隋淅陽郡之武當縣。義寧二年,割淅陽之武當、均陽二縣置武當郡。又置平陵縣。武コ元年,改為均州。七年,省平陵縣。八年,省均陽入武當。其年,以南豐州之??、堵陽、安福三縣來屬。貞觀元年,廢均州,又省堵陽、安福二縣。以武當、??二縣屬淅州。八年,廢淅州,又以武當、??二縣置均州。又廢上州,割豐利縣來屬。天寶元年,改為武當郡。乾元元年,復為均州。」s:zh:舊唐書/卷39
^ 『宋史』徽宗紀四
^ 『宋史』地理志一
^ 『元史』地理志二
^ 『明史』地理志五
^ 『清史稿』地理志十四
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