坂越
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坂越
大道(だいどう)
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日本
都道府県 兵庫県
市町村 赤穂市
人口(2019年9月30日)[1]
 ? 合計1,315人
 男618人、女697人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号678-0172
市外局番0791
ナンバープレート姫路
位置座標はJR赤穂線坂越駅

坂越(さこし)は、兵庫県赤穂市東部の瀬戸内海坂越湾に面する港町。 都市景観大賞(都市景観100選)にも選ばれた伝統的建造物群による古い町並みと、秦河勝聖域の島、生島(いきしま:国の天然記念物瀬戸内海国立公園特別保護地区ひょうごの森百選)を包むように広がる美しい坂越湾の眺望で知られる。播州赤穂産『坂越のかき』の養殖生産地である。
概要

坂越は四季折々の貴重な行事や祭礼、それに伝わる伝統芸能[2]も数多く保存伝承[3]されており、中でも大避神社の祭礼「坂越の船祭り(瀬戸内海三大船祭り)」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。「坂越浦の礎を築いた北前船廻船物語」で平成29年度には手づくり郷土賞を受賞[1]。2018年(平成30年)4月、北前船の西回り(瀬戸内)航路の主要な寄港地として坂越に残る関連文化財7件[4]日本遺産に認定(日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間―北前船寄港地・船主集落」日本遺産ポータルサイト)された[5]

多くの港町の中心主街道が海岸に沿うのに対し、坂越の大道は、内陸の千種川から谷間の坂(鳥居坂)を越えて坂越の浦へと延びる特徴を持つ。大道には、商家や酒蔵、寺院、北前船主の船屋敷などが軒を連ね、現在でも、その面影を色濃く残す。町の中心に残る旧坂越浦会所は、江戸時代に赤穂藩主の休息処として利用され、近世には坂越の行政や商業などの事務を執っていた。ニ階にある観海楼(藩主専用部屋)から見渡せた坂越浦の見事な海の眺望は、近年の高潮対策の埋め立て整備により遠くなっている。海沿いに建つ屋敷に見られる見事な石積みの土台は、かつては、その間際までが海であった事の名残である。坂越浦城跡(旧坂越小学校跡地)に整備された船岡公園の高台や、妙見寺観音堂、茶臼山の山頂(標高166m)から見下ろす坂越湾と、生島や家島などの多島美は絶景。[6]
地理

坂越地区は、南で播磨灘・坂越湾に面した港町で、兵庫県の西南端、岡山県との県境で赤穂市から北東方向に直線距離で約4キロメートルに位置している。東方向には相生湾があり、北東約6キロメートルに相生市がある。北西方向には、JR西日本赤穂線坂越駅が徒歩約15分にあり、千種川の対岸を国道250号が走り、南に面した坂越湾沿いに県道458号県道32号が走る。海岸は瀬戸内海国定公園内に位置しており、気候は瀬戸内海型気候区に属し、温暖な気候に恵まれている。北東に宝珠山(182メートル)と北西に亀甲山(206メートル)、山地に近い地域で標高は5メートル。
年表

644年皇極天皇3年) - 秦河勝、蘇我の入鹿の乱を避け坂越に流れ着く。

647年大化3年) - 秦河勝、坂越にて没し生島に葬られる。

793年延暦12年) - 赤穂郡坂越郷と呼ばれていた(「播磨国赤穂郡坂越神戸両郷解」)

1037年長暦元年) - 古文献に「坂越庄」がはじめて登場する(「平安遺文」)

1068年治暦4年) - 秦河勝に正一位が贈られ、大荒神社を大避神社と改める。

1182年養和元年) - 大避神社が当時の有力な神社である祭神中太神24座に名を連ねる(播磨国総社縁起)。

1365年正平20年) - 児島高徳、妙見寺にて死去。

1485年文明17年) - 赤松氏の乱で宝珠山16坊が焼失。本堂、護法堂、成就坊、谷の坊、龍泉坊、三つ草庵は残る。

1564年永禄7年) - ルイス・フロイス、坂越に寄港し堺行きの船に乗船。

1587年天正15年) - 細川幽齊(藤孝)、九州よりの帰途、坂越に立ち寄る。

1724年享保9年) - 坂越にオランダ船が入港。

1889年明治22年) - 市制・町村制により坂越村が発足

1936年昭和11年) - 町制施行により坂越町が発足

1945年(昭和20年) - 坂越に米軍機10機襲が来し、油送船の座礁、坂越国民学校への機銃掃射を行う

1950年(昭和25年) - 御崎?坂越の海岸、瀬戸内海国立公園に指定される

1955年(昭和30年) - 新坂越橋が完成する

1972年(昭和47年) - 播磨灘初の牡蠣の養殖が開始される

1982年(昭和57年) - 八祖山バイパス(トンネル)開通する

1992年平成4年) - 坂越地区が赤穂市景観形成地区に指定される

1994年(平成6年) - 旧坂越浦会所復元修理完了、公開を開始する

1995年(平成7年) - 奥藤銀行を改修して坂越まち並み館を整備

1997年(平成9年) - 国土交通省の都市景観100選に選定される

2006年(平成18年) - 平成 7(1995) 年から開始の坂越港ふるさと海岸整備が完了

2012年(平成24年) - 「坂越の船祭」が国指定重要無形民俗文化財となる

2016年(平成28年) - 坂越大橋が完成

2018年(平成30年)4月28日 - 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間―北前船寄港地・船主集落」で坂越に残る関連文化財7件が日本遺産に認定される

歴史

播磨灘に位置する天然の良港坂越浦には、渡来人であった秦河勝を始め、南朝南北朝時代)の忠臣であった児島高徳など、多くの偉人伝説が残る。地元に残るそれら人々の伝承記録をみると、坂越が瀬戸内往来の重要な中継地として長くあった事が窺える。

807年(大同2年)、中国からの帰途であった空海、901年(延喜元年)、都から九州の大宰府へ下る途中であった菅原道真、1565年(永禄7年)、長崎・平戸から京都に向かう途中のイエズス会宣教師ルイス・フロイスの他、1587年(天正15年)、九州遠征中の豊臣秀吉を見舞った細川幽斎も、その帰途に坂越に足跡を残す[7][8]

17世紀に入ると、瀬戸内海有数の廻船業(西廻り航路)の拠点として発展[9]、奥藤、大西、岩崎、渋谷などの豪商が廻船業を営み、坂越浦には西回り航路用の大型廻船31艘、内海航路用の小型廻船15艘余りが犇いていたという。また、西国大名参勤交代としても使われていた。

この頃の坂越港には、数回にわたってオランダ船の入港記録もあり、1787年(天明7年)には、蘭学者でもあった司馬江漢が坂越に立ち寄っているのが興味深い(『江漢西遊日記』)。

18世紀以降、北前船が停泊する日本海諸港の台頭によって瀬戸内の港町の多くが衰退する中、坂越は「赤穂の塩」を運ぶ北前船の港として明治時代まで栄え、坂越浦から、高瀬舟の発着場があった千種川まで続く「大道(だいどう)」と呼ばれる通りの風格ある町並みは、往時の繁栄を今に伝えている。


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