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坂田 重次郎(さかた じゅうじろう、1869年(明治2年11月[1])- 1919年(大正8年)11月26日[1])は、日本の外交官。外務省通商局長や、在スペイン特命全権公使を務めた。 出雲国仁多郡[1](現島根県)出身。第3回高等文官試験(外交科)に合格し、高等商業学校(後の東京高等商業学校、一橋大学)本科卒業後、外務省入省[2]。高等商業学校在学中、1893年に学校から旅費を支給され、同校学生の福田徳三(のちに経済学者)とともに栃木県、群馬県、長野県、新潟県、富山県、石川県、福井県に視察に行った。のちに福田徳三が失職し、生計に困っていた際には、外務省の翻訳の仕事を斡旋した。 外交官補
目次
1 人物
2 栄典
3 脚注
4 参考文献
人物
1904年から始まった日露戦争では、外務省政務局で、山座円次郎局長を補佐し、対露開戦外交や、日露ポーツマス講和会議にたずさわる。1905年には在イギリス日本大使館の第二秘書官を務める[4]。
外務省通商局長をへて、1917年から在スペイン国特命全権公使となるが、1919年11月26日スペインのマドリードで死去。
栄典
1916年(大正5年)10月30日 - 従四位[5]
脚注^ a b c 『新版 日本外交史辞典』342頁。
^ 朝海和夫「東京商大の外交官」
表
話
編
歴
在スペイン日本公使 (1916年-1919年)
公使
鮫島尚信:1880年
蜂須賀茂韶:1883年-1887年
田中不二麿:1887年-1890年
野村靖:1891年-1893年
曾禰荒助:1893年-1897年
栗野慎一郎:1897年-1900年
赤羽四郎:1900年-1907年
稲垣満次郎:1907年-1908年
荒川巳次:1909年-1914年
坂田重次郎:1916年-1919年
廣澤金次郎:1920年-1925年
太田為吉:1925年-1932年
青木新:1932年-1936年
矢野真:1936年-1940年
横山正幸:1940年
須磨弥吉郎:1941年-1945年
大使
渋沢信一:1952年-1956年
与謝野秀:1956年-1961年
島津久大:1961年-1963年
関守三郎:1963年-1967年
高野藤吉:1967年-1969年
高橋覚:1969年-1973年
佐藤正二:1973年-1975年
加川隆明:1976年-1978年
横田弘:1978年-1981年
林屋永吉(スペイン語版):1981年-1984年
枝村純郎(ウクライナ語版):1984年-1987年
石井亨:1987年-1991年
山口達男:1991年-1995年
坂本重太郎:1995年-1998年
荒船清彦:1998年-2001年
田中克之:2001年-2004年
島内憲:2004年-2006年
吉川元偉:2006年-2009年
高橋文明:2009年-2011年
佐藤悟:2011年-2014年
越川和彦:2014年-2016年
水上正史:2016年-
表
話
編
歴
在ポルトガル日本公使 (1916年-1919年)
公使
鮫島尚信1880
蜂須賀茂韶1883-1887
田中不二麿1887-1890
野村靖1891-1893
曾禰荒助1893-1897
栗野慎一郎1897-1900
赤羽四郎1900-1907
稲垣満次郎1907-1908
荒川巳次1909-1914
坂田重次郎1916-1919
廣澤金次郎1920-1925
太田為吉1925-1932
笠間杲雄1932-1934
米澤菊二1939-1941
千葉蓁一1941-1942
森島守人1942-1946
-引揚
-神田襄太郎1955-1957
磯野勇三1957-1959
大使
大使館昇格1959
磯野勇三1959-1961
吉田賢吉1961-1965
勝野康助1966-1968
服部五郎1968-1971
和田周作1971-1974
大口信夫1975-1977
谷盛規1977-1981
田村豊1981-1983
岡田富美也1983-1987
村上和夫1987-1991
平岡千之1991-1993
市岡克博1993-1995
國安正昭1995-1998
西村元彦1998-2000
笹口健2000-2002
浜中秀一郎2002-2005
原聰2005-2008
三輪昭2008-2010
四宮信隆2010-2013
東博史2013-2017
新美潤2017-
更新日時:2018年5月24日(木)23:49
取得日時:2019/07/22 23:41