初代 坂田 藤十郎(しょだい さかた とうじゅうろう、正保4年(1647年) - 宝永6年11月1日(1709年12月1日))は、江戸時代の歌舞伎役者。俳号は冬貞、車漣。定紋は丸に外丸。元禄の時代を代表する名優で、上方歌舞伎の始祖の一人にかぞえられる。「役者道の開山」「希代の名人」などと呼ばれた。 京の座元
来歴
元禄8年(1695年)には都万太夫座座元にもなった。宝永5年(1708年)10月京都亀屋座の『夕霧』を最後に舞台活動から去り翌年に死去。墓所は天王寺区天王寺。戒名は重譽一室信士。 和事芸
芸風
時代物や踊りは不得手であった。『松風村雨束帯鑑』の中納言行平を演じたが不評で、行平が髪結いにやつしている場面だけが好評だった。また、怨霊物では、踊らずにひたすら手を合わせて逃げ回る演技がよかったという。そのかわり話術が巧みで女性を口説くときの場面は抜群であった。
『傾城仏の原』で、梅永文蔵を演じた藤十郎が恋人逢州の心底をたしかめるべく、わざと世間話をする場面で、あまりの冗長さに客席から苦情が出た。台詞を短くしようという忠告に、藤十郎はもう一日だけ同じやり方にしてくれをと頼み込み、昨日よりもゆっくりと世間話をすると好評だった。「昨日は、見物を笑わせる所だと思って演じた。それでいけなかった。あの場面は、逢州の心地を聞こうとしてわざと暇取らせているわけだから、そのつもりですればいいのだ。今日は長くやっても、こっちの気持ちが昨日とちがっていたから、よかったのだ」と藤十郎は成功の秘訣を語っている。
芸に対しても真摯な姿勢を崩さず、後輩の役者が、「先日あなたの通りに演じたら好評でした」と礼を述べたが、藤十郎は誉めずに、「私のままに演じたら、生涯わたしを越えられませんよ、しっかりおやりなさい」と忠告した。
その他
二代目坂田藤十郎は初代の門弟。
菊池寛の小説に初代を主人公とした『藤十郎の恋』という作品があり、1938年と1955年に長谷川一夫主演で映画化されている。
参考文献
戸板康二『続 歌舞伎への招待』2004年、岩波現代文庫、ISBN 4-00-602081-3
外部リンク
⇒戯曲『藤十郎の恋』 青空文庫
⇒小説『藤十郎の恋』 青空文庫
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